池田瓢阿『瑞籬の香木』求龍堂、1976年
竹芸の二世池田瓢阿(ひょうあ)が「几楽亭雑記」と題して日本陶磁協会の「陶説」に連載したもの。
本の題名にとられた「瑞籬の香木」という篇は近衛豫楽院(近衞家熙)の言行を山科道安が記した『槐記』を長年愛読していた池田瓢阿が「瑞籬の香木」の所縁の地である上賀茂神社の社家町を雨の中訪ね歩いたことろから始まる。「上賀茂神社の垂桜の老木は、雨に濡れてそぼち、盛りを過ぎた花はすでに色褪せて見えた」とあるので、菜種梅雨の頃であろうか。
明正院が密かに想いを寄せる上賀茂神社の社家出身の上童に相模という女房がいた。ある時、花見の御遊に香木を持ち寄っての香席があり、相模が持出した無銘の香木に院が「瑞籬」という銘を下された。その顛末が『槐記』に書いてある。
瑞籬と銘せられける本歌
乙女子が袖ふる山のみつかきの久しき世より思い初めてき(「拾遺集」十九、恋の部。柿本人麿)
明正院が、古歌によせて思いを通わせんということで無名の香木に銘をつけたが、世俗に阻まれて恋は実らず、相模は局に出世することもなく、大阪の商人に貰われていく。明正院には下木に銘をつけてしまった口惜しさだけが残ったという。
近衞家熙の侍医の山科道安が書いた『槐記』の他のエピソードについては以前に読んで書いたことがある。『槐記』が読みたくなった。
『植物画の至宝 花木真寫』(2005)
この話には後日談があった。
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