辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年
解説の源高根氏を引用するのが分かりやすい。
「1968年の夏埴谷雄高に同行しソヴィエト経由でフランスに渡った辻邦生は、翌年の秋に帰国するまで彼だけはそのまま1年あまりパリに滞在した。辻邦生の二度目のパリである。「モンマルトル日記」は、この1年のあまりのうちの68年10月14日から69年8月23日までという正確な日付をもった、実に克明な日記である」(P263)。
1968年から1969年は今思い返しても激動の時代だった気がする。国内では東大闘争、日大闘争、成田闘争の激化、三億円事件など、海外に目を転じると、キング牧師暗殺、ケネディ上院議員暗殺、フランス五月革命、プラハの春など。その時期に日本離れた辻邦生は『嵯峨野明月記』の第2部から『背教者ユリアヌス』を書きはじめている。小説家は作品に没頭しているのである。
埴谷雄高『欧州紀行』(1972)を読んで、また、当時のことを思い出した私は、辻邦生、森有正、吉田健一を読み出した自分を振り返っている。日記を書いていなかったので、当時の自分の考えは分からないが、本を読み返すことで、自分の人生を辿り直している。
#辻邦生
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