日本的な文明批評の到達点
島内裕子氏が吉田健一『東京の昔』(ちくま学芸文庫、2011年)に表題の解説を書いていました。
吉田健一の小説にはいつものように文学談義や文明論が出て来ますが、「閑居記」であるという本質を突いた指摘がされていました。ここに載せるまでもないと思いましたが、島内裕子氏が最後に書いたところがいいのでメモしておきます。
「「これは本郷信楽町に住んでいた頃の話である」という書き出しは何げないが、いまだにこの地名を、古い地図からも見つけられずにいる。けれどもこの本を開くなら、確かに、本郷信楽町も、勘さんも古木君も、そしておしま婆さんも川本さんも、実在する」。
そういえば本郷信楽町という町がないことに気がつかなかったことは迂闊でした。戦前ということでスルーしていました。けれども、昔の東京にそういう町があって良い気がするのは、文章の力だと思います。
ついでに、京橋の高松町が出ているので調べてみました。
「「この辺りは静かでいいですね、」とこっちも銚子が来てから勘さんに注いで言った。それでそこに移って来るまでは京橋の高松町のごみごみした中に住んでいたことを今になって思い出したが別にそれはこの話と関係があることではない」(P17)。
これも、調べてみたら、無い地名でした。本文と関係がないと断っているので詮索しなかったでした。
#吉田健一
コメント