『露寇事件 一九世紀初頭の日露紛争と鎖国』(2025)の影響

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藤田覚『露寇事件 一九世紀初頭の日露紛争と鎖国』山川出版社、2025年

寛政四年(1792)にアダム・ラクスマンがロシア船エカチェリーナ号で蝦夷地ネモロに来航することから始まる。漂流民の大黒屋光太夫達を乗せていた。このあたりは司馬遼太郎の小説で読んでいたが、詳細は忘れてしまった。ラクスマンに鎖国が国法であることと信牌を与えた。

ここで信牌とはロシア船の長崎への入港許可証であるが、当時の幕閣松平定信等は海岸防備が不十分な現状から、ロシアとの交易はやむを得ないと考えていたという。信牌の文章からは交易許可とは読めないところが秘策であったが、後に露寇事件を招くことになった。

レザノフの交易要求は当時の幕府に拒絶された。レザノフの怒りが文化露寇事件を引き起こす。文化三年(1806)及び文化四年(1807)に部下のフヴォストフに命じてカラフト島・エトロフ島で武力行使した。番屋は焼かれ番人は連れ去られた。エトロフ島では盛岡藩との交戦となり、日本側は敗れている。リシリ沖では日本船を攻撃している。

「文化四年の露寇事件を朝廷に報告したことが、幕府の対外政策への朝廷の介入を招くことになり、天皇・朝廷の政治的浮上に結果してゆく」(p.206)。

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