小倉紀蔵『京都思想逍遥』ちくま新書、2019年
著者が京都大学の授業で「悲哀する京都」をテーマとした文献を読みながら、学生を連れて逍遥したという(謝辞 P293)。
著者は「京都」を「悲哀するひとびとの記憶の集積したまち」(P022)という。そして記憶にはフィクションを含むという。なるほど、源氏物語の所縁の地というものである。
著者が「悲哀する」とは「悲しむことそのものではない。生を、その極限まで生ききることである。その一瞬の極限に、生の絶頂をかがやかすことなのである。そのはかなさを生ききることが、悲哀することなのだ」(P023)という。
著者はヒュームの「わたしとは、知覚の束である」という言葉をとりあげ、「わたしは知覚像の束である」と言い換える(P014)。そして、「この知覚像の闘争的なひしめきあい、そのはたらきを、わたしは<たましい>と呼んでいる。そしてその<たましい>に、なにか特別に生き生きした感じをうけながらそれに気づくとき、ひとはそれを<いのち>と呼ぶのだろう」(P015)。
「あらゆる土地には、その土地の歴史にまつわるさまざまな知覚像が立ち現われる」(P015)。だから、「古典から現代までの文学作品を読みこんで、その日本語の知覚像をよみかえらせながら京都を歩けば、生き生きとした<いのち>と遭遇する可能性は高まる」(P016)。
「七条大橋をわたるとき、源融の栄華と無常感を、わたしのこころのなかに谺させる。そのときわたしのこころはすでにわたしの内部にあるのではなく、まさに時空を超えて先年以上前の六条河原院にあるのだ」。「それが能の世界でいう夢幻である。夢と現実が、こころという場で混淆する。この混淆を、祈りという」(P016)。
「すべての祈りは、学問に通じていなくてはならない。なぜか。(省略)、間違った知識にのっとって祈ることは、間違った世界を構築することになる」(P017)。
著者は、能の「融」のシテよろしく鴨川を六条正面通辺りから東南に向かって幻視するのである。
「このあたりを歩くとき、わたしの身体に変化が起こり、突然目のまえに藤の森や深草や伏見あたりの景色が見えるような感じにとらわれるのだ」(P014)。
こうして、九鬼周造、尹東柱、道元、三島由紀夫の『金閣寺』の溝口らの<たましい>が呼びだされていく。
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