『精神と自然』(2022)その2

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グレゴリー・ベイトソン、佐藤良明訳『精神と自然 生きた世界の認識論』岩波文庫、2022年
Iーイントロダクション
読んでいて、文法の話が出てきた。意味がよくわからなかった文章があった。ある意味でそういう文章だらけであるが。
「みなさんも学校で、名詞とは“人や場所や物の名前”であると教えられた経験がおありだろう。文の構造を分析していく退屈極まりない授業を覚えておられるだろう。あんな教え方を続けないでもいいではないか。名詞とは述語とある関係を持つ言葉、動詞とはその主語である名詞とある関係を持つ言葉、という知識を今日の子供たちに与えられないことはあるまい。定義の基盤に関係を据えればよい、そうすればどんな生徒だって、「“行く”は動詞である」という文がどこかおかしいことに気づくはずだ」(pp.41-42)。
ピンとこなかったのは翻訳のせいかと思った。
翻訳者の佐藤良明氏の『英文法を哲学する』(アルク、2022年)を読んでいたら、この箇所が引用され、解説されていた。
「たしかに。Go is a verb.と言うときのgoは名詞です。辞書に単語として掲げられているすべての単語は、見出しである限りは名詞です。動詞が動詞であるためには語の連なりの、しかるべき位置でしかるべき機能を担っていなくてはなりません」(前掲書、p.158)。

コンテクストがなく唐突な例で意味がとれなかったが、主語は名詞しかなれないので、Go is a verb.は矛盾していると言うことかと思ったが、趣旨はそこではないらしい。

「言い換えれば、こういうことでしょうか。「NーVやVーNの関係の中に置いて見たとき初めて、NがNとして、VがVとして立ち現れるのであって、それぞれを切り離し、私たちの視線の対象(object)にしたのでは、すべてNになるしかない」(同上)。

これをベイトソンの文章から読み取るのは難しい。

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