『沖縄の聖地 御嶽』(2019)その2

読書時間

岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』平凡社新書、2019年

専門委員会が午前中からあったり、月例会が仕事の始まる前にあったりして、通勤電車で読めなかったので、少し開いてしまった。記憶を辿れないので、また読み返す。

第2章 御嶽遍歴(P25-94)は一番長い。最初に訪れた波照間島の御嶽から回想される。石垣島からポンポン船で7時間近くかかったという。そこで、「社殿や祠はおろか、祭壇や香炉すらなかった。この何もないことから来る清浄感、神秘感は比類がなく、私がこれまで寺や神社でかつて感じたことのないものだった。このような聖地えお日本人が持ち得ていることに私は深く感動した」(P29)。しかし、知らずして入域の禁を犯していたのである。

西表島の三離嶽(みちゃりおん)の写真(P40-41)をみると御嶽の何もなさを感じることができる

宮古島の北西の池間島の大主(うばるず)御嶽は司の許可がなければ立ち入ることは許されない。靴を脱いで入ったという。このあたりは白州正子が菅浦神社の石段を裸足で歩かされたことを思い出しながら読んでいた。著者は失敗もする。3回目(去年)に勝手に聖域に入って怒られたことがあった。「しかし私は、刀の刃にきらめく光のように、彼女たちの顔に浮かんだ怒りの表情をいまだに忘れることができない」(P51)。

今では池間大橋により池間島は宮古島本島と繋がっている。

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