私家版という愉しみ

断片記憶

京都に行くことはもはや旅行という気がしていないが、交遊場面は当事者間でしかわからないため、私家版と称して書き留めている。それを読み返すのも年の瀬という感じがする。私家版というと自費出版の話と勘違いされそうであるが、公開しないブログのようなものである。記憶はすぐに曖昧になってしまうが、記録があれば何度でも旅行を愉しむことができる。今年の追補版をプリントして独り悦にいっている。

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