万葉集巻19 4094をめぐって

断片記憶

万葉集を何の気なく読んでいて、大伴家持の歌が陸奥の金の産出を詠んだものだった。この長歌には有名な「海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍」が謳われている。

賀陸奥國出金 詔書哥一首并短歌

美知能久乃 小田在山爾 金有等

万葉集巻19 4094

万葉集からは金の産出が陸奥国小田郡と分かるくらいだ。

続日本紀を見る。

天平21年(749)2月22日 「陸奥国からはじめて黄金を貢進した」。

同4月1日 聖武天皇の詔勅の中で「陸奥国の国守である、従五位上の百済王敬福が、管内の小田郡に黄金が出ましたと申し献上してきました。」とある。百済王敬福はこの日に従三位を授けられている。この長い詔勅の中に大伴・佐伯氏の「海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍」が先祖の功績として述べられていた。大伴家持の歌に入っているのはそんな経緯があったからに違いない。

同4月14日 「天平21年を改めて天平感宝元年とした」。

同4月22日 「陸奥守・従三位の百済王敬福は黄金9百両を貢進した」。

最初の金の産出は黄金山の砂金といわれている。

天平勝宝4年(752)2月18日 「陸奥国の調・庸は多賀郡より以北の諸郡には黄金を貢輸させるようにした」。

大仏の鍍金には黄金山の金以外の金も使われたことで各地に伝説が残っている。

注)岩波文庫『白文 万葉集 下巻』佐々木信綱編

岩波文庫『新訂 新訓 万葉集 下巻』佐々木信綱編

講談社学術文庫『続日本紀(中)』宇治谷孟訳

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