燃え尽きたか?

断片記憶

花火が終わって、燃え尽きたような自分がいる。一番いけないのは、片付けが終わらなかったことで自分を責めることだろう。この辺りの精神的ケアについては仕組みを理解したつもりだった。

本来の自分ならこのくらいはできるはずという無意識的基準で作った計画に対し、まてまて、今までのペースで考えてみろ、その時間を確保できるのか? ということで現実的な計画に補正をしたつもりだった。反省する点があるとすれば、予定外にお誘いが多く、予備日も使い果たしてしまったということである。

勉強会というのはカレンダーに入れるのは容易だが、その後の飲み会はそもそも予定していない。作業時間がなくなるわけである。予備日を設定するのは計画作成では必要である。しかし、現実は作業予定日がお誘いで消え、本の選別にも時間がかかったし(ある程度処分したなかから振り分けるのが難しくなっていた。「読んだ本を捨てるのは研究者じゃない」vs 「要らんもんは要らん」 )、パンフレット、チケットや記念品などの紙屑の箱を若者に処分するように言われたが、整理しながらでないと難しいのだ(気持ちの整理が)。おまけにCDをBGMとして聴くだけにすればよいのに、ブログにメモしている始末である。これでは、時間がいくらあっても足りなくなる。

このブログが原因の一つとして、片付けが終わらなかったという認識が正しいとすれば、目的優先ならばブログをやめればよい。または、作業可能な時間の見積もりを現実に合わせて減らせばよい。その時間でできる片付けをすればよいのだから。1日1時間として300時間は稼げるはずである。まあ、どうせなら本を読んでしまうけど。転換可能な資源として早い段階なら利用可能かもしれない。流石に、押し迫ったら、30時間では何もできないが。

バックの中の読みかけの本以外は段ボール箱の中に隠れてしまった。CDは聴いている郡上おどり以外の入っていた箱はあいにく、奥の下の方になった。ということで、しばらくは片付けを忘れて広くなった部屋を味わうことにして、腕や脚腰の疲れを癒そう。

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