四都手帖レポジトリをやっていると、どうも記憶が薄れていて、寺社の正式名称が出てこなかったりする。これではいかん。健忘症と戦わなければならぬ。
京都検定は好きではないが、一つの基準になることは確かだ。京都手帖はレア度の基準に使ったことがあったが、編集方針はついに分からなかった。要するに何を載せるかを明確にしていない。
観光文化であるからには、有形ものや、無形文化としてのサービスを五感で味わえねばならない。
京言葉を耳で味わうには、映画やテレビを見たりすることでもできるが、現地に行くことで自身の経験となる。
観光文化の目的は京都に行く理由とならなければならない。旧跡があれば歴史に想いを馳すことができ。宮川音頭を聴けば土産尽くしが購買意欲を刺激する。祇園のいがらしで和食を食べたり、お茶屋で嵯峨面を眺めて女将の京言葉を聴きたいと思わなければ単なる旅行ガイドで終わるしかない。
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