『快楽としての読書[海外篇]』(2012)

読書時間

丸谷才一『快楽としての読書[海外篇]』ちくま文庫、2012年

書誌情報

Ⅰ イギリスの書評に学ぶ 3点

「イギリス書評の藝と風格について」他2篇

Ⅱ 書評114選

解説 鹿島茂 「書評のカノン」

本書は、1964年から2001年までに書かれた書評から単行本未収録の11書評を加えたちくま文庫のオリジナル編集である。

書評索引は書名索引と著者(編者)名索引からなる。

カバーデザインは和田誠。

鹿島茂氏の解説がイケてる。

「私はこれまで相当数の文庫解説をこなしてきたので断定できるのだが、世にこれだけ「お得」な文庫はない。お得であるばかりか類書のない文庫であるとさへいえる」(P460)。

お得な理由の第一は「本書を一冊通読するだけで、世界文学の「通」になれるということだろう」。単なる世界文学の紹介本ではなく書評であることが重要なのだ。

第二は「日本で最も信用度の高い書評家」の書評である。

第三は「文章の魅力」である。言うまでもない。

第四は「それは対象である新刊本をきっかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あわよくば生きる力を更新することである。つまり批評性。読者は、究極的にはその批評性の有無によってこの書評家が信用できるかどうかを判断するのだ。この場合一冊の新刊書をひもといて文明の動向を占ひ、一人の著者の資質と力量を判定しながら世界を眺望するといふ、話の構への大きさが要求されるのは当然だろう」(P30)。そうした「眼力」がある書評はそのまま評論となる。

鹿島茂氏のお勧めは丸谷才一の書評を読んで、対象の作品を読み、また丸谷才一の書評を読むことで二度もお得を味わうことである。

確かにガルシア・マルケスの『百年の孤独』は興味があるがまだ手にしていない。私のように臆病な読者は大作は難しいと思っている。そんな私も丸谷才一の書評を読むと、刺激される。鹿島茂氏が書いていたとおり、書評を「受け売り」として読んできたことがある。積読本も書評を読んで読んだ気になる始末だ。その点で私の書くものは役に立たないことが明らかである。読んだ人が「受け売り」として情報を得なければ第一の紹介機能すら果たせないからである。

今更、反省しようにも手遅れである。一般の読書人は書評を書くために本を読んではいないのである。「断片記憶」だし、「読書時間」というカテゴリーが表すように生の読書の記録なので、自分のためにメモしているのを、他人が参考にすることもないことはないというスタンスで公開していたので、限られた読み手(未来の自分とか)を考えて書いているのである。一般人を相手にして書いてはいないのである。しかし、未来の自分は他人であると考えざるを得ないのが、養老孟司氏を読んだ結論でもある。

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