『森有正 感覚のめざすもの』(1980)

読書時間

辻邦生『森有正 感覚のめざすもの』筑摩書房、1980年

三部構成になっいて、第一部 の「森先生のこと」は思い出を語っていて、第二部の「森有正論」への入口をなしている。第二部のうち『経験と思想』の解題はすでに読み返した。問題はすっかり忘れていたが、第三部の「ある試みの終わり」は、森有正論というよりは、吉田健一論になっていたのだった。森有正(1911-1976)と吉田健一(1912-1977)は同時代を生きていた。森有正が「経験」や「変貌」を考え、晩年の吉田健一が「時間」や「変化」を書いていたことの根底に、西洋との対峙がある。

辻邦生の「パリの秋 日本の秋」では吉田健一がエリオット・ポオルについて書いた文章を『思ひ出すままに』(1977年)より引用して、西洋と日本を対峙する意味を書いている。

辻邦生は「森さんが晩年に近いある時期、自分から何か憑きものが落ちて、昔からあった自分に立ち戻る経験を書いている」という。そして、吉田健一の『時間』(1976年)や『変化』(1977年)を語るなかで「われわれが変化なり時間なりを忘れるとき、自分を喪っているからであって、時間のなかを生き、変化を感じるということが、吉田さんにとっては自分を取戻し、自分の「暮し」を楽しむことであった」というのはほとんど同じことを言っていると思う。

簡単にヨーロッパに行き来できる世代は、この世代の西洋との対峙の苦闘を知ることもない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました