若松英輔『不滅の哲学 池田晶子』亜紀書房、2020年
私は池田晶子という人を知らない。読んだこともない。だから、課題本として若松英輔氏が池田晶子を論じているのを少し読むことにした。
若松英輔氏は池田晶子の文章にどうしてもなじむことができない人がいるという。池田晶子の文章に「違和感」ではなく「異和感」をもつのではないかと推測している。
「「違和」とは感覚の齟齬だが、「異和」は経験する次元の差異を表す言葉である。違和感はときに生理的感覚であるが、異和は身体的領域を超える。それを感じるのは、常に魂である」(P54)。
若松英輔氏も池田晶子に「異和」を感じて読んだという。ここから、知ることの哲学的意義が語られるのであるが、自分に無い考えを我々はどのようにして受け止めるのだろうか。「概念」の違いが大きくて、しかも、その「概念」の上で展開される議論についていくには、柔軟さに欠けている自分がいる。「知」と遭遇し、わからない状態が長く続くことに耐えられない自分がいる。本を読むことは魂が触れ合うことだが、魂の次元が異なれば触れ合うこともできない。何も響かないということはあるのである。
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