『徒然草をよみなおす』(2020)

読書時間

小川剛生『徒然草をよみなおす』ちくまプリマー新書、2020年

秋の夜は『徒然草』を読むに相応しい時です。尤も小川剛生氏は兼好を単なる遁世者の随筆とは見ていません。

まず、第一一段の「栗栖野(くるすの)」における兼好の意図は何かと問います。

兼好はふと訪ねた山里の奥に庵を結ぶ人に興趣を抱きますが、柑子の木を囲ってあることに興醒めしてしまいます。

ここで、小川剛生氏は「栗栖野」が歌枕であること、それから、関連する段を読むことを示唆します。

わざわざ「栗栖野」という歌枕を出さなくても成立する話にあえて歌枕を出すことは創作の臭いがいます。

一二段では「同じ心ならん人」と「いささか違ふ所もあらん人」を挙げて「まめやかの心の友には、はるかにへだたる所のありぬべき」としています。

友とするには相応しいのは?

一三段では、「見ぬ世の人を友とするぞこよなう慰むわざなる」と文選、白氏文集、老子、荘子を挙げています。

知り合いと観劇したあと食事しながら話し合うのは楽しいひとときです。それでも演技に関する評価はそれぞれ違ってくるものです。

井筒俊彦の『意味の深みへ』(岩波文庫、2019年)を分からないなりに読んでいた時に、『荘子』の「天籟」の比喩が出てきて(同p.290)、見えないはずの「天籟(てんらい)」という宇宙を吹く風のイメージが素晴らしく心が癒されました。

そうした『荘子』などを読む楽しみを思い出しました。『徒然草』の読み方になるヒントが九章に亘って書かれています。テキストを捲るのが秋の夜の楽しみなのです。

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