『最澄と徳一』(2021)その3

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師茂樹『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』岩波新書、2021年
これまで、私が気になったことだけを書いてきたので、本書の流れを振り返ってみようと思う。
第1章では徳一(とくいつ)とは誰かが問われた。徳一は「唯識思想を学び、法相宗に属していたであろうことは、容易に想像できる」(p.10)としているが、会津や常陸で活動していた以外はほとんど分からないという。最澄が大安寺の道忠の支援を得ていたのは、この論争に巻き込まれる要因でもあったという。
第2章 論争の起源と結末が論じられる。三論宗と法相宗の論争に、最澄は天台宗であるにもかかわらず法相宗を相手に論争を始めてしまう。結論へ行ってもそう変わらないと思う。
第3章 最澄による徳一の三時教判への批判
『守護国界章』はそもそも、徳一の文章が最澄の文書にしか残っていないのを前提にしても、タイトルからして内容とそぐわない。最澄と徳一がしたことは、聖典による証明(教証)と論証(理証)てあるが、お互いを正統とするのであるから、教相判釈(きょうそうはんじゃく)をめぐる論難の応酬であった。
教相判釈とは「多種多様なブッダの教説(経)を説法の形式や内容、説かれた場所や時期などによって分類し、価値づけし、体系化することで、ブッダの真意は何かを明らかにしようとする"メタ仏教"とでも言える思想的な営みである」(p.88)という。
分かりやすい説明であったが、内容は難しい。
第4章では、第3章で取り上げなかった「因明(いんみょう)」という仏教論理学が説明される。本書のメインは最澄と徳一の論争が因明に基づいたものであることを説明したことだと思う。因明はしかし、主張、理由、例喩で証明終わりと素っ気ない。例を見てもこれで証明なのかと思うくらいだ。この伝統的な論理形式はとまどわせる。むしろ、ここでは、相互に異にする教えに対して対論が成り立つために、「共許(ぐうご)」が必要なことが重要だった。「因明においては、立者が主張をする際に用いる概念や言葉は、立者・敵者の両方が承知しているものでなければならない、というルールがある」(pp.128-129)。しかし、共許は最澄と徳一の間では成り立っていないように見受けられた。
第5章では、三国伝来という言説批判や、当時の東アジア仏教の状況と伝来の偏りが指摘されており、最近の研究に基づいたものであった。最澄や徳一の自己の主張に都合の良い経論の引用は「実用的な過去」であるとする著者の批判もあって面白かったが、私には受け止めきれない話でもあった。

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