河内将芳「戦国期・豊臣政権期京都の御霊祭ー文禄五年を中心に」日本歴史学会編集『日本歴史 2018年9月号』吉川弘文館、2018年
御霊祭について、先行研究に言及することから始まる。本多健一氏の一連の研究で「御霊祭が下京の祇園会と比肩しうる上京の祭礼としてみとめられる」という。室町第に近いことでもあり、御輿と風流で賑わったとみてよい。注をみて『中近世京都の祭礼と空間構造』(吉川弘文館、2013年)をチェックした。
戦国期の上御霊社と下御霊社にはそれぞれ御旅所があり、7月18日が「御霊御輿迎」で8月18日が「御霊祭」となり、両日をはさんだ30日のあいだ、御輿は御旅所に滞座することになっていた。祇園会は御旅所へ渡御するのは同じだが、7日間である。
秀吉時代の文禄5年(1596)の相論を河内将芳氏は取り上げる。本多氏が論じていない時期である。
相論は御旅所の若代(わかしろ)が閏7月がある場合に神輿の還幸を30日後とせず、月を基準とした8月18日と主張して留めため、上御霊社側は滞座は30日間と主張して訴訟に及んだ。
相論は慣行により上御霊社別当が勝訴する。古来より30日と決まっている理由による。御旅所若代が守護する御旅所について、上下の御旅所が中御霊に移った後なのか前なのか判断がつきかねているという。史料不足につきやむをえないところだ。
現在の上御霊神社の御霊祭は毎年5月1日に神幸祭(社頭の儀)が行われ、5月18日還幸祭(渡御の儀)が行われている。御霊祭かがり火コンサートが2015年から中止になったのは寂しい限りだ。ちなみに、下御霊神社は5月1日に神幸祭、5月20日(日)に還幸祭をしている。還幸祭を日曜日にしている。
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