高坂正堯『文明が衰亡するとき』(新潮選書、1981年)
高坂正堯(まさたか)は衰亡論について想いを寄せる理由を書いている。
衰亡論はわれわれに運命を考えさせる。人間はだれでも未来への不安と期待の二つを持っている。それはわれわれが有限の存在だからであろう。人間はだれでも、自分の死んだ後、自分のしたことはどうなるだろう、と考える。そして、自分のしたことが受け継がれ、世の中がよくなることを期待しながら、他方よいものはこわれるのではないかという不安をぬぐい去ることはできない(P7)。
あとがきを読むと、ローマ帝国、ベネチア、アメリカの衰亡をテーマにした歴史散歩と言っていることから、衰亡との付き合い方も衰亡の歴史を識った大人の流儀であって悲観していない。
高坂正堯は西洋文明が衰退期に入ったと思われる節があるとして、「たとえば工業製品について、アメリカやヨーロッパでは、日本では考えられないような欠陥商品が現れ始めたが、それは工場の紀律の弛緩を反映している」(P12)としていた。この事実関係を確認していないのでパラレルに日本に持ってこれないけれども、最近の日本のそれも高坂正堯が衰退期とみなしたと思われるようなニュースに溢れているのではないか。
コメント