今日読む本(その2)

断片記憶

趣味の本は捨てられるか?

研究者でない以上、本は仕事か趣味の本である。学術論文集もあれば、シャンパンの泡の科学の本もある。履歴書に趣味を読書と書く人間なので、これといった趣味はないと本人は思っているが、周りからみれば趣味の人というのが、客観的な評価らしい。

将棋を高校生になって覚えた。部活に明け暮れた中学時代とは違い、お帰り倶楽部だったが、教室で指してる同級生のやりとりを飽かずに眺めているうちにルールも分かった。入門書を買ってきて読んだのが始まりで、誘われて同好会に顔を出すようになった。加藤一二三九段の初段を目指すシリーズを読んで将棋の面白さに目覚めた。高校選手権の県代表になったくらいだから、本の力だろう。升田幸三九段の初段えの招待シリーズは興奮した。こうした本は知人のお子さんが将棋を始めたというので差し上げた。木村義雄第十四世名人の『将棋大観』(1976)という駒落ちの本も、まだ早いかと思ったが使ってもらった。そういうわけで、手元に残ったのは実戦譜やエッセイそして詰将棋の本だ。詰将棋の本は段ボール2箱分ある。

勤めるようになって、山へ行くようになり、本や雑誌に写真集、当然、ヘルメットやザイルなどの山道具が増えた。並行して世はパーソナルコンピュータの時代となって、PCにソフトやコンピュータ言語の本が山と積まれた。腰を痛めて山をやめたが、雑誌は買い続けていた。実家のリフォーム時に山道具が整理され、シュイナードのピッケルが2本とロックスの一揃いと2#フレンズがリコールで修理されたのが、行くあてもなく研究所に転がっている。研究所の山の雑誌は若者たちにより処分された。登山を扱った小説や漫画も片付いた。BOOKOFFで引き取ってくれそうもない古びた本とページがくっついた山岳写真集が残っている。

コンピュータはソフトやハードを処分したし、雑誌は真っ先に捨てられた。特に目立つことはなくなった。先月もSemantec Web関係の本を大学院へ搬出した。セキュリティ関係の本は処分を拒否しているものもあるのでいくらか残っている。

趣味の本について自分の履歴を見てきたわけだが、趣味の本も捨てられるものは捨てられるというのが実感だ。山に行かなくなれば、山の技術書を読まなくなるし、ルート図や登攀記録も興味を失う。捨てられないのは何度も読んだ登攀記録と写真集だ。将棋も戦法の本は古びて使えない。実戦譜は何度も並べたことで愛着が残る。これから並べるかどうか分からないが、捨てるのは忍びない。コンピュータ関係も技術進歩の激しい世界なので、陳腐化も早く、それでも残したのは名著と言われる本である。最近も事務所からワインバーグの本を持ってきた。SFやミステリーは本がやけて読めなくなったのでリフォームの時に捨ててしまった。海洋冒険ものも、特命検事なども残っていない。所謂趣味の本については片付いたという認識でいる。

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