『排蘆小船・石上私淑言――宣長「物のあはれ」歌論』(2003年)

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本居宣長、子安宣邦校注『排蘆小船・石上私淑言――宣長「物のあはれ」歌論』岩波文庫、2003年、2010年第3刷

本居宣長の歌論は「物のあはれ」として知られている。今回はその元を見てみたい。そもそも『排蘆小舟(あしわけおぶね)』と『石上私淑言(いそのかみのささめごと)』の2つの歌論はいずれも未定稿である。

『排蘆小舟』の題名について子安宣邦氏は触れていないが、万葉集の歌に由来する。

万葉集巻第十一 寄物陳思

2745 湊入之 葦別小舟 障多見 吾念公爾 不相頃者鴨(佐々木信綱編『白文 万葉集 下巻』)

佐々木信綱編『新訓 万葉集』では「湊入りの葦わけ小舟(おぶね)障(さわり)多みわが思ふ君にあはぬころかも」。

3巻ある『石上私淑言』の1巻と2巻は文化13年(1816年)に鈴屋を嗣ぐ本居大平の門人斎藤彦麿により刊行された。

石上私淑言 序に題名の由来が書かれているので、メモしておく。

「こゝに伊勢の国なる本居の老翁、いそのかみふりにし世の心にたちかへりて、中今の世の歌人に、さゝめごとのやうにときさとされる書なむ有りける。石上私淑言とぞいふなる」(149頁)。

「抑も此書の名とせる石上の語は、ふることのおやなる古事記にはじめて出でて、私淑の文字はかしこき人の残せる孟子といふ書にみえたりとなむ」(150頁)。

注)

「石上」は『古事記』中巻神武天皇において石上神宮にフツノミタマの太刀が納められているということが初出か。

「私淑」は『孟子』離婁下22

孟子曰、君子之澤、五世而斬、小人之澤、五世而斬。予未得爲孔子徒也。予私淑諸人也。

本居宣長は筑摩書房の『本居宣長全集』20巻、別巻3冊が基準図書である。岩波文庫も『紫文要領』くらいしか手に入れにくい。そういえば『古事記傳』はKindle版で1、3巻を読んでみたが、後が続かなかった。Kindle端末はどうも本に埋もれやすい。読みたい時に出てこないと、興味は外へ移ってしまう。それに振仮名が片仮名でしかも独特な読み方をするので妙に疲れる。平仮名も崩し字なので楽ではない。

底本とした村岡典嗣編『本居宣長全集第3巻』が原本の片仮名を平仮名に改めていたため、子安宣邦版『紫文要領』も『排蘆小船・石上私淑言』も漢字と平仮名で読める。

さて、問答の形式で『蘆排小舟』は書かれている。問答という形式で書かれたものは江戸期の思想家のもので中江藤樹の『翁問答』や伊藤仁斎の『童子問』などあり、質問に答える形式が採用されている。しかし、ディベートではない。対等な立場での議論により物事の本質を明らかにしていくことを書籍の上で実現する事は難しい。一方の当事者にはなれるが、ジャッジにはなれないからである。

この問答は、いわゆる変な質問から始まる。実は、『蘆排小舟』は最初の問いが全てである。

「歌の用 〇問ふ、歌は天下の政道をたすくる道也。いたづらにもてあそび物と思ふべからず。この故に古今の序に、このこころみえたり。此義いかゞ。

答へて曰く、非也。歌の本体、政治をたすくるためにもあらず。身をおさむる為にもあらず。たゞ心に思ふことをいふより外なし」(11頁)。

和歌が大衆化し、上流の町人の愛好物となっていたという背景をもとに「和歌は翫びものなのか」という問いが発せられた。しかし、政道だとか修身だとかが何故に問題になるのか。和歌の効用を問う伝統に対し宣長は心に思うことを表現することだと主張する。

「宣長は歌の意義への問いに歌の本質論をもって答えていく。問いと答えはずれている。宣長の歌論はまさしくこのずれに成立する」(346頁)。

『石上私淑言』もある人問ひていはく、と始まる問答である。

「ある人問ひていはく、歌とはいかなる物をいふぞや。まろ答へていはく、ひろくいへば卅一字の歌のたぐひを始めとして、神楽歌、催馬楽、連歌、風俗、平家物語、猿楽のうたひ物、今の世の狂歌、俳諧、小歌、浄瑠璃、わらはべのうたふはやり歌、臼つき歌、木びき歌のたぐひ迄、詞の程よくとゝのひ文ありてうたはるるゝ物はみな歌也」(157頁)。

子安氏は宣長の「答え方は歴史的であり、また文献考証的である」と評価する。

「万葉集の歌も今のも大かたの心ばへはさらにかはる事なし。されば此道のみぞ今もなを神の御国の心ばへをうしなはぬとはいふ也」(314頁)。

そして、「歌の社会的存立とその意義への問いは、いまや神代の心ばえを保持し続ける御国の歌という伝統的和歌の正統性をもって答え返されるのである。」(361頁)

どうも『石上私淑言』は『古事記傳』と同じ地平に立って書いているようで、変な答え方をするオヤジにしか見えない。

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