藤木久志『天下統一と朝鮮侵略 織田・豊臣政権の実像』講談社学術文庫、2005年、2006年第2刷
現存する江戸時代の武家屋敷等は見学したことがある。戦国期の町や村を再現した映像は見たことがないので、現在と地続きな感じがしているが、そこから疑う必要があるようだ。河内将芳氏の戦国期の京都を書いた本を何冊か読んで、上京と下京が城塞都市になっていたことは知識として蓄えられたが、洛中洛外図屏風の金雲たなびく洛中から城塞都市をイメージできる人はどれほどいるのであろうか。
以前に、スイスのルツェルンで城壁の跡を歩いたことがあった。武器を持って城壁の上を移動する気分になった。実際、カメラで撮影したのだが、磁気テープを紛失したのが残念だった。
藤木久志氏の『城と隠物の戦国誌』(2021年)で西欧中世の城郭図が取り上げられていて、ビジュアルなものをレファレンスとして、持っておきたいと思った。図録はそうしたものとしてあるはずであるが、描かれたものの研究には至ってなく、描き方にしか注目してこなかったので、宝の持ち腐れである。山城のイラスト集もあったはずだが、本棚に挿さっていなければいざというときに使えない。
藤木久志氏は、寺内(じない)という城塞都市が一向宗により築かれたことをいう。ルイス・フロイスの『日本史』の記述を取り上げて、フロイスの観察した寺内を要約する。
「フロイスは、寺院や道場を中心として、防壁にかこまれた完全な町、それが日本のふつうの寺内の姿だ、とみている」(P32)。
一向宗側は本願寺領国の加賀の山田光教寺の顕誓(けんせい)のことばを取り上げて、以下のようにいう。
「信長上洛の年のころにあたる。寺内といい、在々所々いたるところ、人々をあつめて門徒にし、軒をならべて町をなし、城塞のように垣をもって外とへだて、領主を無視して年貢をも納めない。まるで治外法権の別世界だ。それだから、信長の本拠美濃では、早くもいたるところで寺内の破却が強行されている、という」(P33)。
注)本を読むことで、京都は散々歩くことになったが、平安京をイメージして歩いたのであった。ビジュアル的には洛中は焼けてしまったので何も残っていない。石碑などは明治以降に建てられたもので、VRでもなければ何のイメージも浮かばない。だから、最近は絵画史料の本を読んできたのであった。『都林泉名勝図会』はデジタルになっているが、5巻の和本(講談社学術文庫で2巻本もある)を持って京都を訪れてみたいと思う。江戸時代の人もこのガイドブックを見てまだ見ぬ都を思いやったのだろう。
戦国期の一乗谷朝倉氏遺跡を復元したものは実際に歩いて見てみたい。縄文や弥生の遺跡も訪ねてみたいが、まずは、何処に何があるのか調査することから始めたい。日本探訪である。余暇はこうやって調べ事に費やされる。
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