- 唐木順三『唐木順三ライブラリーⅡ 詩とデカダンス 無用者の系譜』中公選書、2013年
『詩とデカダンス』
『詩とデカダンス』は1952年に創文社からフォルミカ選書として出版された。後に講談社から名著シリーズとして新版が1966年に出ており、本書は筑摩書房から刊行された『唐木順三全集』第4巻1967年を底本としている。
さて、『無用者の系譜』(1960年)の「無用者の系譜」の最初が「在原業平」であり、唐木順三は在原業平にデカダンスを嗅ぎとるのであった。とうとう『詩とデカダンス』に向き合ってデカダンスとは何かを読むことになってしまった。
『詩とデカダンス』は果たして近代批判であった。文人による近代批判を読もうとして始まった読書は、ボードレールに行き着いた。
“西洋の近代化が世界の近代化を支配し、日本での近代化の問題は即ち西欧化の問題であった。当然にそこから伝統と近代という問題が起る。そしてニヒリズムが近代の帰結であるとき、近代化に対して楽観的ではありえない。寧ろニヒリズムから如何にしてが脱出するか、如何にしてそれを超えるかが現代の課題である。”
こうした問題意識をもった唐木順三は伝統を考えるために中世へと遡っていった。そして書いた『中世の文学』(1955年)の後に、さらに歴史を遡り『無用者の系譜』で在原業平を扱った。在原業平は文学的には古代の文学という認識である。
近代の文人は近代を批判的にみていたと唐木順三はいう。それでは、近代の文人は近代の帰結であるニヒリズムとどう対峙したのでかあろうか。単なるデカダンとして状況に流されていないか。私の疑問が湧き上がったところで時間になった。
文人気質(その4)
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