『ボワソナアド』(1977)

読書時間

大久保泰甫『ボワソナアド』岩波新書、1977年

大学の時に出た本であるが、気が付かないで過ごしてしまった。今になって読むのも何か気紛れのような気がするが、ボワソナアド(今はボアソナードが普通か)の日本における役割を考えてみたくなった。

明治という時代を考える時、法の継受の問題を取り上げないわけにはいかない。法学部では大陸法と英米法を習ったが、明治維新後にフランス法やドイツ法といった大陸法の法制を取り入れることで、日本は大陸法に属していると考えられている。

だが、フランス法からドイツ法へ転換する経緯に付いては詳しく知らずにきた。せっかくなので、読むことにする。

ギュスタアヴ・ボワソナアドが私生児として生まれた話を読む。1825年生まれのボワソナアドが1873年に日本へ来るまでが第一章の範囲である。二月革命(1848)、第二帝政(1852-70)、普仏戦争(1870-71)、コミュウヌ(コミューン、1871)という時期をパリ大学法学部を卒業した後経験する。パリ籠城戦を経験したわけだ。ボワソナアドも父と同じく学者への道を歩むことになる。

ボワソナアドが明治政府の「お雇い法律顧問」となることを選んだ理由は何だったのだろうか。パリ大学のアグレジェであり、正教授の欠員を待っ身の48歳であった。「アグレジェの身分をそのまま維持し、無報酬の外国派遣を文部大臣に申請して許可された(九月一七日)」(P40)とある。長く日本にいるつもりはなかったのだろう。しかし、二十年以上も日本に関わり続けることになる。

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