『源氏物語論』(1966)

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清水好子『源氏物語論』塙選書50〔オンデマンド版〕、1966年、2006年第6刷

清水好子の本は推理小説を読むような気がする。第1章「いづれの御時にか」では、桐壺の巻の最初の出だしの表現の新規性について、当時の日記等で年次記載の意識と方法が考察される。

<私家版>

「私は「いづれの御時にか」という発端の言いまわしが伊勢集の詞書よりあとかさきかは一往おいて、「むかし」とか「今はむかし」というのではなくて、あきらかに「いづれの御時にか」と疑問の言い方を選んだところに作者のことさらな用意があると見るので、この点について考察をしてみたい。結論を簡単にいうならば、それだからこそ、やがて延喜天暦ごろという実在の時間を暗示でき、それはこの物語の手法の基本的な性格にふれるものと考えるのである」(P12)。

竹取物語や落窪物語が「今は昔」と始まり、伊勢物語は「昔、男……」と始まるなかで、源氏物語の書き出しを清水好子は「独創的」とみている。私は以下のような考察をしょうとする点に清水好子の独創性をみる。

</私家版>

「当時の読者が、さように何か特別の印象を持ったであろうと推定するについては、このような言い廻しが背後に持つ意味を究めなくてはならぬ。いったい、このころの人々は時の記載についてどのような意識や方法を持っていたのであろうか。ひいては物語における時の設定をいかに処理し、それは物語の性格といかにかゝわったのであろうか」(P13)。

<私家版>

この後、年次記載の意識について土左日記・かげろふ日記、枕草子・紫式部日記、太后日記、歌合日記、私家集をもとに考察され、不定な表現をあらわすものとして、斎宮歌合日記・重之集、藤原長能集が挙げられた。中国伝奇小説との比較も行われた。ここまでで71頁。

「桐壺の巻の帝は宇多帝以降の史上実在の人物として天暦以前の帝として書かれていることはあきらかとなった」(P74)として、次は第二章「準拠」である。

「桐壺帝を延喜帝、光源氏を西宮左大臣、光源氏の須磨流謫を西宮左大臣の左遷という風に、物語の人物や事件を史上実際のそれにあてはめて考えうる場合、古注は史実のそれらを準拠と呼んだ」(P84)。

「平安時代の物語の注釈でかように準拠ということがいわれるのは源氏物語だけである。ここにこの物語の特色が存すると私は思うのであるが、諸注はいかなる場合に準拠を云々し、したがってそれが物語の読み方にいかに関係するかを以下に見てゆきたいのである」(P86-87)。

この後、第三章「後拾遺集における源高明の歌」では西宮左大臣の勅撰入選歌をともに後拾遺集にみられる源氏物語の読み方を考察する。

第四章「紅葉賀」や第五章「花の宴」は準拠の詳細が取り上げられる。第六章「須磨退居と周公東遷」で、「光源氏の須磨下りの話の背後には経書が控えていると考えることは、物語においてあまりに異質なものを拉し来った感があるが、しかし書かれてある両者の事跡は肝腎の折り目切り目があまりにも似通っている。このことは無視又は軽視できないと思う」(P246)。

「ともあれ、賢木巻で「文王の子武王の弟」と名乗らせて以来、その生涯の危機の時代を周公の事跡と相似の形で描いたことに私は作者のなみなみならぬ理想主義をみるのである」(P247)。

周公旦の事跡との対比は興味深い。日本の古典を読むにあたっても中国の史書の知識があるとないとでは深みが違う。吉川幸次郎が出てきて清水好子に「尚書」の知識を授けるなどネットワークの良さを感じた。

</私家版>

清水好子の本を読むのは今では難しくなった。

朧谷寿先生から、源氏物語で清水好子先生の話を聴くうちに、何冊か手に入れて読んでみたが、ものが違うのである。これが著者の二番目の著作である。

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