『定本酒呑童子の誕生』(2020)その2

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髙橋昌明『定本酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化』岩波現代文庫、2020年

大江山の酒呑童子の物語は「南北朝・室町初期成立といわれる逸翁美術館蔵『大江山絵詞』を初見とし」(P11)ている。

高橋昌明氏によると、大江山はどこかという問題があるという。実は、「京都府下には、二つの大江山がある。福知山市と与謝郡与謝野町の境、かつての丹後・丹波国境にある標高833メートルの大江山(千丈ヶ嶽)と、現亀岡市と京都市西京区の間、標高480メートルの大江山(大枝山)である。後者の東北麓が大きな鞍部を形成しており、そこに山陰道が通っていた。山城・丹波の国境で、あたりを老ノ坂という。一般には千丈ヶ嶽が、酒呑童子の大江山と考えられているけれど、古代・中世における大江山は後者をさしていた」(P46)。

大江山といえば、小式部内侍の歌を思い出す。

大江山いくのの道の遠ければまだふみもみずあまの橋立

高橋昌明氏によると、この歌の大江山は山城・丹波国境、老ノ坂の大枝山であるという。確かに生野まで遠いことを強調しようとすれば、京都のすぐそばの大枝山である理由がよく分かる。

和泉式部が詠んだのはまちがいなく大江山である。

丹後にありけるほど、守のぼりてくだらざりければ、十二月十余日、雪いみじうふるに

まつ人はゆきとまりつつあぢきなくとしのみこゆるよさのおほ山(『和泉式部集』852)

何故、酒呑童子の世界が大江山になったのか?

「逸翁美術館蔵『大江山絵詞』では、大江山は丹後の千丈ヶ嶽を舞台とするから、ことは単純でない」(P48)。

そして、酒呑童子とはそもそも何者か?

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