「近世江戸は災害都市だった!連続複合災害について考える」を観る

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大手町アカデミア×人間文化研究機構「近世江戸は災害都市だった!連続複合災害について考える」

2020年12月15日(水)19:00→20:45

人間文化研究機構国文学研究資料館教授の渡辺浩一氏のお話をオンライン講座で聴きました。ビデオは後日公開されると主催者が言っていました。

 

江戸期の連続複合災害を2つ取り上げていました。

天明飢饉(1784)、天明大水害(1786)、不作(1787)の連続災害は、天明3年(1783)の浅間山の天明噴火に端を発しています。降灰で川が埋まり後に洪水を招きます。この結果、印旛沼干拓事業は失敗し老人田沼意次は失脚することとなり、松平定信の寛政の改革になります。

 

次に安政大地震(1855)、安政東日本台風(1856)、安政コレラ(1858)の連続災害です。

 

安政大地震の被害状況の記録が町人地に関して割と多く残っていた事情を紐解いてゆくと、江戸社会の仕組が見えて来ます。町人は町奉行が統括しているので、町役人を通じて情報が町奉行に上がって来ます。しかし、武家地は各大名や旗本・御家人であるため、被害報告を取りまとめる組織がなく被害の全体像は把握できないといいます。それでも、安政大地震の場合に、各大名は幕府の指示がないにも関わらず、大目付に被害状況を報告したそうです。それなら、旗本・御家人も組頭等を通じて報告があったのではないかと推測されますが、渡辺浩一教授は資料が見つかっていないと言います。

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