断片記憶

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『日本史学』(2015)

帆立道久『日本史学(ブックガイドシリーズ基本の30冊)』人文書院、2015年 本の鮮度とは何か。 時々のものを扱うのでなければ、 読み手が見出すものであろう。 本が未来に向かって開かれている限り、何度読んでも、鮮度が落ちない。書かれた時は遥...
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『いいねぇ〜 江戸売り声』(2012)

宮田章司、瀬知エリカ(画)『いいねぇ〜 江戸売り声』(素朴社、2012年) 江戸売り声を仕立直やの二階で楽しむ会に行ってきた。瀬知さんの三味線と唄が階段の上から聴こえてきた。ちょっと遅れたか。上がると瀬知さんが画をPCに取り込んでビデオにし...
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器の使い途

紅葉にはまだ早い南禅寺前のうつわやあ花音で新宮州三さんの漆角皿を買いました。店主と使い途を議論しましたが、何でもよさようです(少し投げやりモード)。 ちらし寿司の取り皿、菓子皿、パン皿、飴入れ、柿の種入れ、升の代わり、鍵置 使い途を議論して...
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『行きつけの店』(1999)

「行きつけ」とは山口瞳が食事や旅行の際にみせるスタイルである。何かの縁で入った店が気にいると何度も通うことになり、「なじむ」ことを好む態度である。食事や旅行の都度、違う店や旅館を選ぶことを志向するのとはおよそかけ離れた態度である。人には馴染...
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『坂口安吾』(1972)

奧野健男の『坂口安吾』(文藝春秋、1972年)はこう始まる。 「坂口安吾の「堕落論」を読んだとき受けたような鮮烈な衝撃を、ぼくは生涯において二度と読書から受けることはないであろう。それは十九歳のぼくを今まで縛っていた戦争期の倫理や観念やタブ...
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スサノヲの時代

「鎌田東二の霊性の京都学 74 スサノヲの到来展の場所の力」(月刊京都2015年11月号) 「スサノヲの到来展」の最後は渋谷の松濤美術館においてであった。鎌田東二氏が「スサノヲと場所の力〜渋谷の地と氷川神社とスサノヲのコスモロジー」と題した...
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書物を解体するということ

かつて『書物の解体学』(中央公論社、1981年)を吉本隆明が書いたとき、出来の悪い本は振ってみれば良いとした。バラバラとページが落ちてくる(笑)。しかし、書物を読むということ、著者の言説を理解することが知の格闘技だということをビジュアルに理...
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西米良村・村所神楽

神楽を観た。宮崎県西米良村・村所神楽を観たのである。村外の吾妻橋にあるアサヒアートスクエアでである。本番の半分の時間とはいえ十分堪能した。休憩なしに6時間の公演だった。2015年10月4日(日) 神神楽の部(13:00 〜 16:30) 1...
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『文明論之概略』の読み方(はじまり)

古典とは何かということと、古典として読むということに違いはあるのだろうか? 丸山真男は福沢諭吉の『文明論之概略』(1875年)を『論語』やプラトンの『国家』と同列に思想的古典として扱かっている(『「文明論之概略」を読む 上』(岩波新書、19...
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『レコードと暮らし』(2015)

田口史人『レコードと暮らし』(夏葉社、2015年) 夏葉社の最新刊を善行堂で手に入れたので読んでいる。高円寺「円盤」の店主の田口史人氏がレコードについて書いた冊子等をまとめたものだ。 ビールの時代は朝日ソノラマ(1959 〜79)のソノシー...