断片記憶

断片記憶

本を買う理由

購入図書や購入古書に購入後記をつけることをしてきた。以前は、月単位で購入図書や購入古書に購入後記を書いていたので一行書になっていた(時間をおけば直接の動機や目的が曖昧になる)。そこで購入の都度、購入図書や購入古書の購入後記を書くようにした。...
断片記憶

新年会2024

新年会を親戚以外でするようになったのは、そういうお付き合いがあるからなのだろう。
シガモノ

お節2024(シガモノ+自家製+コンビニ)

いつもコンビニお節だけなのでたまには自家製を加えてみる。煮卵、チャーシュー、鳥の冷製、白菜漬け、若鮎(シガモノ)、赤蒟蒻(シガモノ)、黒豆(コンビニお節)
断片記憶

開運2024

明けましておめでとうございます。
断片記憶

今年もまた逝く

今年何をしたのか、何ができたのか、年の瀬はそういうことを考えさせる貴重な時間だ。普段から心掛けていれば年の瀬など関係ないのだろう。基礎がなければ何を重ねようとも積み上がらないことは確かである。だから、急がば回れでやっている。体力のあるうちに...
断片記憶

辰年のお供え

辰年のお供えがかわい過ぎる。
断片記憶

私家版という愉しみ

京都に行くことはもはや旅行という気がしていないが、交遊場面は当事者間でしかわからないため、私家版と称して書き留めている。それを読み返すのも年の瀬という感じがする。私家版というと自費出版の話と勘違いされそうであるが、公開しないブログのようなも...
断片記憶

冬のライトアップ再び

今年も竹を使ったライトアップが始まっていました。月例会があるのでゆっくり味わうこともできずに寒さの増した夕暮れ時を急いでいました。
断片記憶

片付け三昧

世は断捨離である。花火で片付いていたはずの部屋も動線がなくなって物がなくなり始めた。片付けることはストレスである。だから先延ばししているが、年末年始をスッキリ迎えたいので床に置いてあるものは片付けることにした。段ボール箱から出して戻していな...
断片記憶

変わってしまった日常

行き付けだった小料理屋や喫茶店が閉まってみると、自分を形成していた何かが失われたような気がする。日常が慣れの問題だとすると、何かでそれを埋める必要があるのだろうか、それとも外面というのは自然と形成されていくものなのだろうか。居心地というのは...