「京都ぶらぶら」を読む

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石川淳『夷齋遊戯』筑摩書房、1963年

修学院離宮を「灌木というナマのままの材料を使って、蔵よりも厚く塗りこめ、橋のように廣く架けわたした城壁がここにある」(p.101)と表現している。夷齋先生、だいぶ調子がよろしい。

「城のない城壁。そのくせ、廃墟なんぞという感傷の影はきれいに無い。ここは材料の灌木がものをいふ。緑は今日の手入に依つて今日に息を吹きかへしてゐる。苔もつかず。ワビだのサビだのもつかず、何百年といふ時間をバカにして、いつまでたつても骨董になつて見せない。霞によく、月によく、もみぢは舊に依つてよろしいだろうが、それだからといつて、今日かなたの原つぱに工場かなにかの煙突がけむりを吐いても、あたまの上にジェット機が飛んでも、この城壁のたたずまひが崩れるといふおそれはない。いつの時代の風もすべてここを吹き抜ける。もしこの堅固な灌木の造営に音楽をつけるとしたらば、しぜん西洋音楽になるだろう。しかし、いかに堅固でも、材料が材料だから、もしこれに火をつけたらば、たちまちばつと炎をふいて燃えほろびるだろう。かういふものを、わたしは好む」(pp.101-102)。

修学院離宮の灌木を城壁と見立てた夷齋先生の好みはちと難しい。ワビだのサビだのと古びず、風は受け流すが火には弱い。日本の木の文化そのものである。そして、話は河繁の料理の話に落ちる。今日の河しげは、一日一組限定で営業している。当時の事情はwikiなんぞには載っていないので、古い本でも捲ってみたくなった。

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