真夏の霊岸島を歩く

散歩時間
「亀島水辺まつり 亀新川酒屋めぐり ヘロヘロツアー」なるものに参加して、真夏の12時に出発する街歩きをして、酒問屋で利き酒をしたのだった。
霊岸島は時代小説に出てくることはあっても実際に歩いたことがなかった。ガイドの石井さんがツアーの案内を説明して、12時3分に出発した。霊岸島は寛永元年に霊巌上人が幕府より土地を下賜され、埋め立てして島とし、霊巌寺を建立した。霊巌寺は明暦の大火で延焼し、白河へ移転した。大火で霊岸島へ避難した多くが犠牲になったという。この辺りは岩本馨著『明暦の大火「都市改造という神話」』(吉川弘文館、2021年)を読んでみたい。浄土宗道本山霊巌寺には葬儀で訪れたことがあるが、そういう歴史があることは知らなかった。清澄白河は深川飯を食べに来たり、吉村流の踊りの発表会を見るために深川江戸資料館のレクホールに来たことがある。
霊岸島を新川が貫いていたが、現在は舗装道路になっている。越前堀児童公園を目指す。
左手の公園と正面にはリノベーションされた明正小学校のモダンな建物が見えた。明正通沿いの越前堀跡には越前堀の石垣石が展示されていた。

発掘された越前堀の石垣石

隅田川まで越前堀の上にできた明正通を一直線に向かう。霊岸島は新川と越前堀で3つに分かれていた。隅田川岸のビューポイントからは、左手に永代橋、右手に佃煮島を挟んで手前の中央大橋と越中島へ渡る相生橋が見えた。兜の形をした中央大橋のモニュメントはメッセンジャーと呼ばれ、パリ市から寄贈されたものである。
永代橋寄りに進むと、新川之跡の碑があった。
次は新川大神宮へ向かう。戦災で焼けた神社を日清製粉本社ビルが見下ろしている。かつて下り酒で賑わった新川に酒問屋は3つしか残っていないという。

ビルに囲まれた新川大神宮、鳥居脇に奉納の酒樽が積み上がっていた。

最後は、今田商店で利き酒を3杯味わい、酒問屋の伝承新川締でお開きとなった。せっかくなので清酒を買って帰ることにした(注)。

今田商店は角打ちをしている。富久長は東広島の今田酒造本店を代表する銘柄である。

(注)
NHK連続ドラマ「あさが来た」のモデルになった広岡浅子が嫁いだ先が両替商の加島屋であった。加島屋は下り酒問屋株をもって新川で商売をして後に宮内庁に酒を納めることになった。惣花(そうはな)である。そういう話を日本盛の人がしていたので記念に買い求めた。ラベルを見ると醸造元は日本盛であった。おまけに付いていた純金箔が堀金箔粉株式会社製であることまで注意していた人は少ないと思う。

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