『養老孟司の人間科学講義』(2008)

読書時間
養老孟司『養老孟司の人間科学講義』ちくま学芸文庫、2008年
書誌情報
解説が内田樹氏である。
あとがきを読むと、雑誌「ちくま」に一年間連載したものが元になっている。
「連載のときと、本にまとめるときでは、考えがかなり違ってしまった。だから連載原稿をほぼ元通りに残した部分もあるが、かなり書き換えた」(p.259)と2002年2月の日付のあとがきにある。
面白いのは、木村敏氏の『臨床哲学の知』(洋泉社、2008年、注)が「同じようなこと」を論じているのではないかと感じたと書いてある。だだし、用語が違うとある(p.265)。
この本の位置付けのヒントがあった。
「「自己」については、そのあと『無思想の発見』(ちくま新書、2005年)でさらに論じた」(同上)とあり、気になる。
第1章 人間科学とは何か
「われわれは「世界はこういうものだ」と信じているが、それは脳がそう信じて入るだけである。しかしそうだとわかったからといって、事情がさして変化するわけではない。相変わらずの日常生活が続く。しかし、脳が信じているだけだということを知ることは、それでも大切なことである。なぜなら、たかだか1500グラムの自分の脳が、いわば「勝手に思っている」ことを根拠に、たとえば人を殺していいかという疑問が生じるからである。だから私は、どんな原理主義者にもなれない。まして唯一絶対の神など、信じない。なにか神様のようなもの、つまりもっと曖昧なものは信じるのだが」(pp.13-14)。
養老孟司氏の本を通勤時間に読んでいると人間が作った都市に住むことの意義を考えさせられる。「唯脳論」の立場からすれば、人間の世界は絶えずコトバによる文節化がされる。自然のように未分節のものの存在を許さないのである。都市は人工物からなる。自然は排除される。
ヒトは二種類の情報世界を生きている。

脳とその情報の世界あるいは意識的な世界
細胞と遺伝子の世界、つまりほぼ完全に無意識の世界

言い換えると、

脳の世界はいわゆる心や文化の世界
細胞と遺伝子の世界は身体の世界
このテーマで繰り返し説明がされる。全11章。

注)洋泉社が潰れたので、言視舎で2017年に復刊されている。

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