元木泰雄『源頼朝 武家政治の創始者』中公新書、2019年
また、漫然と本を読む季節になった。花粉の飛ぶ時期は考えることが億劫で、薬のせいで眠い。メモを取りながら読むことができない。したがって漫然と読み、気になったら、調べごとするのである。
元木康雄氏の河内源氏ものである。前著で河内源氏の血に塗られた系譜が明らかにされた。読み返したいところであるが、どこにあるのか分からない。
本書は本文279頁、はじめにとあとがきが前後に付いて、主要参考文献と源頼朝略年譜からなる。目次は詳細であるが、索引はない。一般書である。
平治の乱について、元木泰雄氏は「慈円(省略)が著した歴史書『愚管抄』は、義朝が申し入れた縁談を信西が拒絶したことを遺恨として挙兵したとする」(P23)が、「挙兵のきっかけは、平清盛が熊野参詣に出かけ、京都を留守にしたことにあった。その直前、信西の三男藤原成徳(省略)と平清盛の娘が婚約しているが、これは信西が清盛の武力を組織する可能性を示しており、武力で信西に優越していた信頼に不安を与えたことが性急な蜂起の一因であろう」(同)としている。
「なお、義朝の挙兵の原因を慈円の言葉通りに縁談拒絶など信西に対する遺恨という、個人の思惑に求める、まるで御伽噺のような理解や、信頼と義朝の連携を見当はずれの論拠でなんとしても認めたがらない暴論が蔓延っていることには呆れるばかりである。武士と貴族とを対立する階級とする、古めかしい観念の呪縛の強さを痛感せざるをえない」(P24)
元木泰雄先生お怒りである。
しかし、これは本論ではない。「河内源氏嫡流にして、鎌倉幕府の創始者である源頼朝の生涯と、政治的役割を再検討」(はじめに v)するのが目的である。
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