藤木久志『天下統一と朝鮮侵略 織田・豊臣政権の実像』講談社学術文庫、2005年、2006年第2刷
書誌情報
『日本の歴史』第15巻『織田・豊臣政権』小学館、1975年を底本として、講談社学術文庫とした。
元亀元年(1970)の石山戦争に至る信長と一向宗との因縁から慶長三年(1598)の秀吉の病没による日本軍の朝鮮からの撤退帰国までを描いた。
年表はあるが、索引はない。
藤木久志氏は古書展で入手した古写本『慶長二年 豊後臼杵安養寺慶念(きょうねん) 朝鮮日々記』(嘉永六年(1853))を持って、一向宗安養寺をたずねるところから筆を起こしている。
豊臣政権末期の第二次朝鮮侵略に従軍した一向宗の老僧の記録である。慶念は釜山に一向宗の道場があるという噂をきき訪ねた。そこは「端坊(はしのぼう)さまの御下(おんした)といっていた。
「わたくしは、古写本をここまで読み進んで、一向宗の侵略加担という、めくるめく思いにとらわれながら、遠い日の夏旅を思い出していた」(P23)。
一向宗と朝鮮侵略という構図は、明治植民地下の朝鮮に布教に乗り出した「端坊さま」(興正寺)の「御下」であった高徳寺と二重写しになったという。
この本が書かれた1975年当時の研究状況は知らないが、著者の思いが伝わってくる文章をメモする。
「いま織田・豊臣政権をめぐる研究者たちの関心もまた、中世国家が解体し幕藩制国家がつくりだされてくる、この統一政権の成立を、一向一揆・大陸侵略との深い関連のなかで追究しようという点に、ようやく集中しはじめている。(中略)これまでの豊かな信長・秀吉論や安土・桃山文化論にも学びながら、やはりまさにこの天正四年を画期とする石山戦争から朝鮮侵略へという、ひと筋にだけすべてを託して、織田・豊臣政権の軌跡をたどってみることにしたいと思う」(P27)。
「一向一揆と統一権力、統一と侵略。それは、西ヨーロッパ植民帝国の進出も加えて、激動する東海アジア世界のなかの民衆にとって、何であったのであろうか。
その波動と底流を、統一され侵略されたものの側からひたすら見すえていくことを、本書の、ただ一つのたいせつな課題としよう」(P27)。
序章の重さを感じた後の十二章を年表を頼りに読み進めることにする。
コメント