ブルーノ・タウト、篠田英雄編訳『忘れられた日本』中公文庫、2007年
ブルーノ・タウトが桂離宮及び伊勢神宮について書いたものを読むには篠田英雄編訳が便利だ。
ブルーノ・タウトが日本に滞在していた1933年から1936年に出版された本について、『ニッポン』(講談社学術文庫、1991年)の解説で持田季未子氏が一覧していたので、メモを載せる。
最初に書いた『ニッポン』(平井均訳、明治書房、1934年)、その続編の『日本文化私観』(森儁郎訳、明治書房、1936年)そして『日本の家屋と生活(”Houses and People of Japan”)』(三省堂、1937年)である。
『ニッポン』と『日本文化私観』は講談社学術文庫化されている。井上章一氏の『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫、1997年)の裏付けのためなら、『ニッポン』(講談社学術文庫、1991年)で桂離宮と伊勢神宮が取り上げられているので十分だと思うが、念のため、アンソロジーともいうべき篠田英雄編訳によることにした。
本書は『忘れられた日本』(創元文庫、1952年)を底本にしている。訳は篠田英雄訳が読みやすい。
ここで、脱線ついでにメモしておく。本棚に挿さっていたブルーノ・タウト本は4冊あって、今回の目的を離れて読み比べした。篠田英雄訳の2冊が森儁郎(もりとしろう)訳本の必要なところをカバーしていた。
「桂離宮」という短い18頁のエッセイのはじめを読む。
「私が日本に着いた翌日、ーーつまり私が初めて朝から晩までを日本で過ごした最初の日に私は京都郊外にある桂離宮をつぶさに拝観するという最大の幸福をもった。そののち日本の旧い諸建築から得たさまざまな経験から推すと、第十七世紀に竣工したこの建築物こそ、実に日本の典型的な古典建築であり、アテネのアクロポリスとそのプロピレアやパルテノンにも比すべきものである」(14ページ)。
私はアクロポリスと桂離宮を対比する気にはなれないが、どちらも見た経験から、よい眺めであることは否定しない。
ブルーノ・タウトのこの興奮気味の始まりを井上章一氏は、ブルーノ・タウトを招いた「日本インターナショナル建築会」の上野伊三郎の手配によるものと考えている(『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫、1997年、38ページ)。上野からの伝聞とした建築史家の藤島亥治郎のエピソードを引用しているので、そのまま孫引きする。
「上野伊三郎によれば、タウト氏が敦賀に上陸して京都に落ち着いたとき先ずいったことには、明日は氏の誕生日である。毎年誕生日にはその土地の最もよい建築を見ることにしているから、明日の誕生日には日本で一番よい建築を見たい、といふのである。それで上野氏は氏を伴って桂離宮に案内したそうである。果してタウト氏は非常に驚嘆したのである」(『同』38ページ)(注)。
ブルーノ・タウト氏の誕生日による感激があったのと、ブルーノ・タウト氏の要求に応える上野伊三郎らが既に桂離宮を評価していたことが分かる。ブルーノ・タウトにる桂離宮の再発見も御膳立てがあったことは間違いないのだろう。上野伊三郎については、2009年に京都国立近代美術館で「上野伊三郎+リチ コレクション展」を見たときにモダン建築家と理解している。
ブルーノ・タウトの「桂離宮」では日本建築のよさを上げる点でしばしば修学院離宮を取りあげている。桂離宮の話をしているうちに修学院の説明になっている。この同時代の別荘は一緒に語られて、単独ではブルーノ・タウトの本に出ていない。
(注)
岸田日出刀・堀口捨己・吉田五十八・谷口吉郎「座談会・日本建築」(『芸術新潮』1954年6月号、119ページ)
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