『考える技術・書く技術』(1973)その3

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板坂元『考える技術・書く技術』講談社現代新書、1973年、1992年第47刷

6.仕上げ

本における漢字の比率に言及したなかで、当用漢字を評価している箇所が懐かしい。

「60年代後半の日本文学に難解な文章があらわれたこともたしかだが、その一方では読みやすい名文もこの時期にあらわれている。清岡卓行・辻邦生・吉井由吉など、かぞえあげてゆくと、60年代後半は当用漢字で書く名文が成立した時期でもあるのだ。こういう作家たちは、当用漢字しか使えない不自由さなど感じていないはずである。そして、昔の本が漢字の割合が多いために、開いたときにページ全体が、灰色に見えたのに対し、60年代の本のページが白っぽく明るくなってきた」(P194)。

著者も意識的に漢字を平がなにしている。漢字の含有率35%が標準となっていた時代である。かといって平がなを増やせばいいという問題でもない。著者は林芙美子の文章は疲れるという。

「どういうわけか林の文は、前にもどって読みかえさなければならない個所が多すぎる。平がなの部分が前後の語とくっついて、文意が通じにくくなるのだ。文は全体としてやさしい方なのだが、読み通す時間は普通の小説より長くなりがちになる。林は、読む人のことをあまり考えないで書いた人ではなかろうか」(P195)。

文学談義が出たところで、まとめとなる。本の最初に書かれた頭のはたらきというものに差がないとしたら、最後は、誠実さと情熱とが勝負を分ける。この本は生き方の技術の本でもあった。どうりで読み継がれるはずである。

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