養老孟司『解剖学教室へようこそ』ちくま文庫、2005年、2021年第17刷
養老孟司の話は解剖から始まって、心とからだに及んで終わりとなる。趣旨は一貫しているように感じた。
南直哉氏が解説を書いていた。四字熟語が出てくる。
養老孟司氏は「事実を語る」のに慎重だった。
解剖は知りたいという気持ちがさせるという趣旨の話であった。
南直哉氏は「人は理解した「事実」だけを語る。理解しなかったことは語れない。当たり前である、その「理解したこと」を「事実そのもの」だと思い込む態度を、仏教では「妄想分別(もうぞうふんべつ)」と言い、「無明(むみょう)」と言う」(p.218)。
養老孟司氏は「名前をつけることは、ものを「切ること」である」(p.59)と言う。
南直哉氏は、それを「人間は言葉で世界を切る」(p.218)と端的にまとめた。
仏教では事実をありのままに見ることを、「如実知見(によじつちけん)」(p.219)という。
心とからだは二元論と一元論が取り上げられた。養老孟司氏が「心は、からだがあって、初めて成り立つのである」(p.209)と言う。
対して、南直哉氏は「この「事実」を仏教は、「諸行無常」と言う」(p.221)と結んだ。
出来すぎた解説であった。
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