『「読み」の整理学』(2007)

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外山滋比古『「読み」の整理学』ちくま文庫、2007年

「読み」には既知と未知の「読み」があると外山滋比古氏は言う。

内容がわかっている文章を読む既知の読み方と、書かれている内容がよくわからない文章の読みである未知の読み方の二通りの読み方について、綴ったエッセイである。

第1章は音読についての話だ。戦前の「読本」で小学生が習うのは「ハナ、ハト、マメ、マス、ミノカサ、カラカサ」だったという。既に知っていることを声を出して読むことだった。時代を感じるのは、「マス」が鱒か升かは絵があれば分かるかもしれないが、「ミノカサ」は絵があっても分からないかもしれないということだ。既知のことがらを読むのであるから、文字の読み方さえわかれば、音読ができ、意味も分かる。

第1章の未知の例が面白い。単語は既知であるが表現は未知であるというひとが多いかもしれない。

Children should be seen and not heard.というイギリスの諺がわかるだろうか。答えは、最後に。

第2章は「教育はことばによって、未知の世界を準経験の世界へ移して行く作業である」とし、未知の読み方の難しさを扱う。「未知を読むには二重の壁がある」。ひとつは、未知の文字や表現である。もうひとつは、文字や単語はわかっているのに、何をいってるのかわからない場合である。

第3章になると、既知を読むのを「アルファー読み」、未知を読むのを「ベーター読み」と言い換えて操作しやすくした。見知った野球の結果を新聞で読むのは「アルファー読み」で教科書を読むのは「ベーター読み」である。

乳幼児が言葉を習得する過程に着目して、未知のことばを母親が繰り返しきかせることで、こどもが身のまわりのものごとについてのことばを覚えることから、著者はこれらのことばを「母乳語」と呼んでいる。これと性格を異にすることばの習得も必要になる。抽象的で、こどもが経験したことのない世界の事物をあらわす「離乳語」という。

「母乳語では、ことばとそれがあらわすものごとの間にしっかりした関係があることを教えようとする」。「離乳語では逆のことをする。ことばとそれがあらわすものごととの関係は、切ろうと思えば切れることを学ぶ」。母乳語は、「既知にもとづいて使い、理解することばであり、」離乳語は「未知を理解することばである」。先ほどの読み替えによれば、母乳語はアルファー語であり、離乳語はベーター語となる。

アルファー語からベーター語への切り替えは、おとぎ話による虚構の理解が適当だという。未経験の世界も何度も何度も同じ話をしていると、やがて全体がのみ込めてくる。おとぎ話の効用が深いところで理解できた気がする。

諺の解釈は、

「こどもは人前でしゃべってはいけない。おとなしくしていなさい」。

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