『日本の中世を歩く』(2009)

読書時間

五味文彦『日本の中世を歩く ーー遺跡を訪ね、史料を読む』岩波新書、2009年

書誌情報

東京大学出版会の雑誌『UP』の連載(2007・4〜2008・9の8回)を元にして、平泉や博多・菅生・萱津などを追加し12章からなる。各章末に「史料を読む」を設けた。参考文献、索引付き。

『書物の中世史』(みすず書房、2003年)に連なる仕事であることがあとがきに書いてあった。

「こうして日本の各地を訪ね歩く経験を重ねるうちに、各地に中世の遺跡や文化財が多く存在しているのに、意外にその歴史的意義が知られていないことを感じ、関連史料を読み進めていった。そこでは『書物の中世史』(みすず書房)における書物の考察の経験が大いに役立った。これは、誰が、どのような意図で、何時、書物を著したのかを探ったものであるが、その経験を踏まえて、遺跡に関わる書物や史料の性格を考え、遺跡の歴史的な価値を捉え、現代との関わりを考えるようになったのである」(P195)。

はじめにでは、史料の扱い方の入門を意図しているとある。「史料を読む」を読みながら史料を読んでみたくなる。くずし字の辞典を枕元に置くことにしよう。

「史料はやみくもに探して考察すればよいというわけではない。一番よくその土地の特質を記しているような史料を見つける必要がある。史料は時代とともにあるのだから、その時代の情報を最も豊かに示す史料を探し出してゆかねばならない。そのうえで史料がもつ特性をよく知って分析を加え、利用することが必要となる。史料がどのような構成をとり、いかに作成され、誰がどんな目的によって記したのか、これらの問題を明らかにして読みとらねばならない。

そうしたなかで取り上げた史料が、歌に始まり、文書(もんじょ)や文章、日記や記録、文学作品、絵巻などさまざまとなった。中世社会の魅力はなんといっても多彩で多様な史料の存在である。したがって本書は必然的にこれらの史料の扱い方の入門的役割をも意図している。全体の配列は時代の流れと史料のつながりからなる。それぞれの地域が輝きを示しはじめた時代に焦点を合わせて、その地域の歴史的特質を明らかにしてゆこう」(ii)。

第1章 熊野の古道を謡い、歩く

『梁塵秘抄』の今様が熊野のことをよく謡っている。そうか、何件くらいあるのか確認したいなと思う。しかし、手元にすぐにアスセスできるはずの植木朝子先生の『梁塵秘抄』が出てこない。どこかの箱の中である。ないもの同然😭。

『一遍聖絵』の場面も新書では絵を載せていても小さくて分からない。「その絵を見ると、本宮の境内は二つに仕切られ、証誠殿は左側の大きな建物ではなく、右側の左端にある小さな建物で、その前に山伏姿の神が立ち、これを一遍が座って拝んでいる」(P7)。『一遍聖絵』の図録を探すか(難しい)、断固、図書館で確認するかしたくなる。調べ事とは所詮そういうものなので、ここにメモして先にゆく。

熊野三山(の本地)は本宮(阿弥陀如来)、新宮(薬師如来)及び那智宮(千手観音)である。五味文彦氏は第1章の「史料を読む」を以下で終える。合理的推定であろう。しかし「今様は人と神仏との間の交信手段」(P17)という結論はどうなのだろうか。そこだけ切り取ってもと思うが、考えるヒントをもらったことにする。

「後白河上皇は那智の神に向かっては「千手の誓ひぞ」と謡ったのであるが、阿弥陀如来の本宮と薬師如来の新宮の神には特に次の三十番・三十二番を謡ったことであろう。

弥陀の誓ひぞ頼もしき 十悪五逆の人なれど

ひとたび御名をとなふれば 来迎引接疑わず

像法転じては 薬師の誓ひぞ頼もしき

ひとたび御名を聞く人は 万の病も無しとぞいふ

像法とは、仏の教えが広まる正法が衰えた時代、それが転じて末法の現世となるが、歌はそれぞれの仏の誓いが頼もしい、と謡って、仏からの救いを望んでいる。今様は人と神仏との間の交信手段であった」(P16-17)。

注)引接(いんじょう)は阿弥陀如来が極楽浄土に導いてくれること。

本は妄想発生装置なので寝る前に読むのは控えねばなるまい。

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