『日本中世への招待』(2020)

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呉座勇一『日本中世への招待』朝日新書、2020年

書誌情報

朝日新聞の土曜別冊「be」に2014年10月より2018年3月まで月1連載したものに概説を加えたもの。連載はネットDIGITAL朝日新聞で読んでいたので、第一部の概説を読む。当初は日本中世史であったが、出版に当たり日本中世としたのは政治史中心の歴史ではないことをいうためである。

初出をみると、

第一部「日本中世史への招待 社会、習慣、価値観を探る」(朝日カルチャーセンター中之島教室 2019年2月〜3月)3回分

第二部 「呉座勇一の交流の歴史学」(朝日新聞 2014年10月11日〜2017年3月25日)

第三部 「呉座勇一の交流の歴史学 バックガイド編」(朝日新聞 2017年4月22日〜2018年3月31日)

 

第一部の「人生の歴史学」は「中世の家族」、「中世の教育」及び「中世の生老病死」からなる。政治史中心の歴史を見てきたので、なるほどと思えることが多い。中でも、絵画史料から読み取ることは、難しいことであると改めて気づく。保立道久氏がクリーブランド美術館所蔵の『融通念仏縁起絵巻』下巻第九段(写本)をもとに指摘したことが、ことごとく、否定されていたのが面白かった。例外的な絵を観察していたためである。私も絵を見ていて保立氏の発見を面白いと思ったが、絵画史料の扱い方からすれば、批判者の指摘はごもっともと思う。呉座勇一氏の切り取り方は見事である。

 

以下、引用してみたが、絵画史料を見る上で参考になった。保立氏はよく観察しているが、絵をそのまま事実と受けとってしまった点が問題なのである。

 

さて、前掲の『融通念仏縁起絵巻』下巻の第九段の絵について、保立氏は次のように述べる。

「この場面が興味深いのは、緊迫した出産が通りに面した公開の場で、一つの風景の中で行なわていることである。道を行く馬上の婦人は身を乗り出して産屋を覗き込み、大路の真ん中にたたずむ大笠を背負った僧侶や少女たちも産屋の方を指差して語りあっている。もとより、このような通行人よりも、産婦の病気の経過を熟知している近所の人々にとって、この場はより具体的な興味や心配の対象であっただろう。それは画像では、簾を開けて覗き込んでいる隣の女や、産屋の方に向かっている腰をかがめた老女に表現されている」と(P122)。

女性研究知られる服藤早苗は、道を行く馬上付き従う婦人に付き従う弓を持った従者が産室の方向を見ていないこと指摘する。また五味文彦氏も「外の人の視線は産屋に集中しているが、内の方から外へ向けての動きは一つもない。閉じられた空間とみるべきであろう」と述べている(P123)。

服藤氏は「私には、この出産場面は本来戸がたてられていたはずであるが、難産で死に瀕していた牛飼童の妻が、念仏衆に入ることによって無事出産したことを絵巻で強調し説明する為の絵画手法として、戸を描かなかっただけである、と考えられる。『源氏物語絵巻』では、貴族たち屋内生活を描写するために、屋根や天井をとりのぞいた吹抜屋台の描法が使用いることは周知事実である。この『源氏物語絵巻』から当時の寝殿造に屋根が無かったと主張する人はいないであろう」と保立説を批判する(P123)。

 

五味氏も、「絵には絵の約束事があるのを知っおかねばならない。密室の出来事を外から描こうとしたら、どうしたって密室の性格を否定なければならない」と指摘する(P123)。

 

美術史学者の千野香織氏は、道行く人々が産婦を指差しているのは、絵巻を見る人の注意を促すための作者の演出であると論じている(P124)。

 

なお、中世の医療では、江戸時代の貝原益軒の『養生訓』も引用しており、呉座勇一氏の幅広い読書が感じられた。私は覚えていなかったので、少し哀しくなった。

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