奈良その奥から 八「一ツ松」

ひととき

岡本彰夫 『ひととき』2019年6月号

元春日大社権宮司の岡本彰夫氏が「一ツ松」について『ひととき』2019年6月号に書いていました。坂本城主となった明智光秀が唐崎神社の霊松がないことを嘆き、危険を冒して浅井領の一ツ松を奪って唐崎神社に植栽した時の歌をとりあげていました。

われならで 誰かは植ゑむ ひとつ松 こころして吹け 志賀の浦風

織田信長が元亀二年(1571)9月12日に比叡山延暦寺を焼き討ちした後、志賀郡を明智光秀に与えたので、話はその後のことになります。浅井領は近江の北半国であるので、志賀郡と境を接するのは北側です。浅井氏が滅亡するのは天正元年(1573)9月1日。それまでの間で浅井領の一ツ松はどこにあったのでしょうか。

注)唐崎神社の「軒端の松」は舒明天皇五年(633)の頃植えられ、大和三輪山より大己貴命を日吉大社の西本宮として勧請した際に、童の姿でこの松の梢に立たれたとの伝承から、霊松と崇められたといいます。

明智光秀が、植え替えた後に、明治20年(1887)に植え替えていますので、記録上は三代目です(「「近江八景」唐崎の松 後継樹を植栽 歌川広重に描かれた風景、次世代に継承」産経ニュース2018年3月1日)。

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