『日本の深層文化』(2009)

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森浩一『日本の深層文化』ちくま新書、2009年

先斗町の居酒屋で森浩一先生を見かけた頃が懐かしく思い出された。京都に行くと粟餅を食べたくなる。北野天満宮前の粟餅所澤屋さんが有名で、きな粉と餡で食べる粟餅は日持ちがしないので、その日のうちに食べることになる。だから、誰とも粟餅の話をすることはなかった。この粟を巡る話から始まる。

第1章 粟と禾

粟田神社が京都の東山にあって、ホテルの近くだったのでよく詣でた。10月の粟田祭も楽しみな行事だった。京都造形芸術大学の学生さんが大燈呂(おろち)を造って巡行する世渡りの神事が面白かった。

その「粟田」という地名や氏名に森浩一先生は着目した。稲が主として水田に植えられるのにたいして、粟(あわ)をはじめ稗(ひえ)、黍(きび)(稷)、麦は畠(はたけ)の作物である」(P8)。なぜ「粟田」なのか? 森浩一先生は畠の倭字がつくられる前は水田にたいして陸田を「ハタケ」とよんだという。畠という倭字が作られるまでは、水田と陸田だったわけで、粟田も粟の陸田だった頃に生まれたと考えている。畑も倭字で、森浩一先生は焼畑地帯で生まれたという。字を見ると成り立ちが分かる。今更ながら、漢字の成り立ちに気を使っていなかったことが分かった。

禾(あわ)も粟と同じだ。この字を私は知らなかった。禾と粟の関係は稲と米の関係だったことが分かる。

こうやって日本の深層文化に入っていくのは無理がない。

#森浩一

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