谷沢永一『論より証拠』潮出版社、1985年第2刷
谷沢永一が「”虚学”の醍醐味」で福澤諭吉の「実学」に対する対照語として「虚学」を書いていた。
「実学」は福澤諭吉が『學問のすゝめ』(1872年)の初編の有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。」の次のパラグラフに登場する。長いが引用する。
「学問とは、唯むづかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云うにあらず。これ等の文学も自から人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すようさまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者も少く、和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、其子の学問に出精するを見て、やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟其学問の実に遠くして日用の間に合はぬ証拠なり。されば今斯る実なき学問は先次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬へば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、尚又進で学ぶべき箇条は甚多し。地理学とは日本国中は勿論世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、其働を知る学問なり。歴史とは年代記のくはしき者にて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。脩身学とは身の行を脩め人に交わり此世を渡るべき天然の道理を述たるものなり。是等の学問をするに、何れも西洋の飜訳書を取調べ、大抵の事は日本の仮名にて用を便じ、或は年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押へ、其事に就き其物に従ひ、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、皆悉くたしなむべき心得なれば、此心得ありて後に士農工商各其分を尽し銘々の家業を営み、身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり」(石田雄編『近代日本思想大系2 福沢諭吉集』(筑摩書房、1975年))。
改めて、「実学」について福澤諭吉の言っている範囲が広いことが分かった。
谷沢永一は福澤諭吉の「実学」で日本はやってきたという。「実学至上主義」である。しかし、社会が変わり、フラット化してくれば、対人関係も命令するだけでは上手くいかない。人財育成は人を見る目を養う必要がある。大量生産ラインに従事する人には同じ職能ということで説明が不要だったが、職能が複雑化すれば説明が必要になる。「実学」は「虚学」とセットでなければ十分機能しなくなるという。
「福澤諭吉が提唱したところの「実学」は、すぐに明日から間にあうような技術についての学問である。とするならば、そうした「実学」を身につけることを円滑にするような、そしてその人物の「貫禄」を高めるようなもう一つ別の学問、別の教養、別の栄養が必要となるであろう」(P19)。それを「虚学」というわけである。
昨今の、人文系学部が不要という議論も、経済界が「実学至上主義」という伝統なるものを引きずっているということだろう。米国と違い、日本は国内だけではやっていけない。海外に出ていけば、文化も法律も人間性も異なるところで勝負していかなければならない。尊敬されなければ相手にされないところで、「実学」でやれるのは単なるワーカーである。
谷沢永一が「実学」を支える「虚学」の裏付けを5ヶ条挙げている。いつものように本を読む効用を言っているのに過ぎないのであるが、勘所が分かって読むのとそうでないのとでは「其有様雲と泥との相違あるに似たる」と福澤諭吉に言われてしまいそうである。
第一条 歴史物語に着目する。
第二条 人間性を知ること。
第三条 推理小説を読むこと。
第四条 日本人の感受性を知ること。
第五条 自分のひいきの作家、ライターを持つこと。
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