読書ほど得なことはない

断片記憶

藤原正彦氏の管見妄語「読書ほど得なことはない」(週刊新潮、2017年5月18日号)は、奥さんの藤原美子氏に「あなたは筆が遅い」と言われたこと対して、これ以上速く書けない理由があると書いている。

藤原正彦氏は日本の諜報に関する作品を書いていたという。ほう、これは渡部昇一氏の『ドイツ参謀本部』と同じかと思った。福島安正という日清・日露の時に活躍した日本の諜報の基礎を作った人の話になった。シベリア単騎横断で知られているが、ベルリンで従軍武官をしていた時に、北里柴三郎や森鴎外が留学生で訪れただろうと。そこで、森鴎外の『独逸日記』や『北里柴三郎 雷と呼ばれた男(上 下)』(山崎光夫、中公文庫)を紐解いたりする。石黒忠悳陸軍軍医総監に忠勤を励む森鴎外の話になったと思ったら、石黒忠悳の長男の石黒忠篤が隣の穂積のおじいさん(小学生時分の将棋のライバルだそうだ。)を訪ねた話になった。話が飛ぶのである。穂積のおじいさんといえば、『新訳論語』を書いた穂積重遠のことだろうと思ったら、案の定、渋沢栄一の孫で石黒忠篤の義弟でもあったという。そうやって調べごとをしているから速く書けないという訳だった。

藤原正彦氏はこうやって人間関係の綾を紐解いて行く。石黒忠悳は福島安正と咸臨丸で渡米していた。福島安正の上司は児玉源太郎であり、児玉源太郎の娘がおじいさんの兄嫁だ。そこから児玉源太郎と渋沢栄一の関係などが見えてくる。早く本にしてくれと思うのだった。

(注)

隣のおじいさんである法学者の穂積重遠の『新訳論語』と『新訳孟子』(いずれも講談社学術文庫)は手に入れにくくなっている。谷沢永一がすすめたものと理解したため手に入れてみたが、私の読んだどの論語よりも面白かった。吉川論語や宮崎論語は孔子の生き方を問うことをしていない。人生経験に幅がないのである。その点、渋沢栄一の論語が面白いのと同様、穂積重遠も東大退官後に東宮大夫兼侍従長として皇太子殿下の傅育に携わったり、最高裁判事を歴任したり、学問だけで終わらなかった人だ。姉弟の教育を目的にした本だけに話が具体的だ。私の寝室の数少ない手元本として本箱に収まっているから、こうやって書き足すことができる。金谷論語など、段ボール箱の中で取り出せやしない。

19世紀初頭、江戸近世の学問のピークがあったと子安宣邦氏はいう。そうした知識をもとに渋沢栄一は論語を論じた。明治近代国家は西洋知識を取り入れるため、翻訳語である漢語を作った。ここで、知識の断絶があったのだ。我々は漢語で生きている。漢語であることを意識していない。漢語を西洋語の翻訳語として読むことで知識システムを作ったことで、論語は読めなくなってきた。我々は学者の論語を有難がって読むことをしているうちに、論語を読む喜びを忘れてしまってないだろうか。

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