ノスタルジーを感じる時

読書時間

「心になにか屈したものがあるような日、あるいはくたびれてただ呆然と燈火の前にいるような夜、與謝蕪村の句集や画集をとりだしてきてあてもなく眺めるのはいいことだ」(芳賀徹『與謝蕪村の小さな世界』中央公論社、1986年)。

芳賀徹は徒然草の第13段を取り出してきて、兼好にとっての文選に対して、自身は蕪村に「慰むわざ」を見出している。

「20世紀末東京のせわしなさとそのストレスが、18世紀末京都の人の詩画の小世界によってやわらげられ、いやされるともいおうか」という。21世紀の現在、スピードがストレスとなっている東京から京都に来て、少し車で走れば、水音に癒される場所に立つことができる。

MIHO MUSEUMで「与謝蕪村ーかけめぐる創意ー」を観たのは2008年の枝垂桜の咲く春だった。小世界というよりは大作だったという印象が残る。記憶とはそういうものである。

図録ではなくて、潁原退蔵編『改訂増補蕪村全集』(京都更生閣、1933年)などを取り出して、蕪村の書簡を読む芳賀徹氏は羨ましい。本が本であるためには、選ばなければならぬ。

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