『蒙古襲来』(2001)その4

断片記憶

網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、2001年、2005年第2刷

4.鎌倉後期の政治路線

網野善彦はこの時代に二つの方向性があったという。

一つは「撫民」による「政道」としての方向で、農業を基礎とする社会に統治者としてのぞむことを志向する。過度な奢侈である「過差」に対する厳格な規制を持って秩序を確立しょうとした。

もう一つは非農業的な世界を積極的に肯定し、「悪党」を召使い、「過差」を当然とする「ばさら」を好む方向である。背景には貨幣経済の浸透への対処が課題としてあったのである。

網野善彦は「この時代に生きた人々は、大なり小なり、この二つのはげしく矛盾する魂によって心を引き裂かれざるをえなかった。それだけに、人の心に敏感で誠実な人々、とくに宗教者にとって、これは真剣な問題であった。殺生を「悪」の根源とみて、その禁断をすすめ、非人をみずからの背に負って、その救済につとめた叡尊・忍性などの律僧、厳格な規式に従った座禅によって、この心の動揺に静寂をもたらそうたした道隆・祖元などの禅僧たちのめざしたのも、この問題に対するそれなりの解決の道であった。そしておのずとそれはどちらかといえば前者の政治路線につながっていくことになる。」という。

『蒙古襲来』読むのは楽しいが、蒙古襲来のことを書くのは難しい。これは、宿題だな。

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