板坂元『考える技術・書く技術』講談社現代新書、1973年、1992年第47刷
3.実践し易さ
著者が国文学の先生であることをすっかり忘れていた。記憶は嘘をつく。しかし、もっと驚いたのは著者が夥しい一般書を書いたにも関わらず、この後の本を私は読んでいないことだった。渡部昇一の『知的生活の方法』シリーズは読んできたが、板坂元の技術は続編が出ても手を出していないのは、この本の容易性にあった。分かった気になると、これ以上教えてもらう必要はなくなるというものだ。かなかな実践できない本は、しつこく買い続けることになる。
4.本書の読み方
私の構成も酷いもので、今頃こんなことを書いている。まあ、ブログとはいい加減なものだ。
この本は順番に読む必要があると私が考えている理由は何か?
本の全体構造について著者は言及していないが、親切な著者であれば、どの章から読んでもよい場合にはそう書くものである。本書にはその記述は見当たらない。目次を見る限りインプットからアウトプットへのパターンが見える。著者のいうパターン認識を生かしている。
目次
Ⅰ 頭のウォームアップ
Ⅱ 視点
Ⅲ 読書
Ⅳ 整理
Ⅴ 発想
Ⅵ 説得
Ⅶ 仕上げ
Ⅷ まとめ
5.考える技術と書く技術とは同じことか
著者は考える技術と書く技術をどのように考えているのだろうか?
若松英輔氏は「読むと書く」といっている。著者は「読書」に1章分を割いただけである。「読書」は情報収集方法であり、思考訓練でもある。情報は整理し、考え、説得力をつけなければいけない。当たり前のことである。
『考える技術・書く技術』(1973年)が書かれた背景をあとがきから読みとるとすれば、『知的生産の方法』(1967年)や『発想法』(1967年)は「凡人の手の届かないところにありがちなこと」(P209)といっているように思える。大学では論文を書くための本の位置付けだった。今月のはじめに大学での集まりがあったとき生協を覗いたら書籍のコーナーにあったのでまだ役割を終えていないことを確認できた。この分野では清水幾太郎の『論文の書き方』(岩波新書、1959年)も凡人の手の届かないところのものであろう。
私が仕事をしている頃はバーバラ・ミントの『考える技術・書く技術ー問題解決力を伸ばすピラミッド原則』(ダイヤモンド社、1995年)などマッキンゼー流の仕事術が流行っていた。しかし、頭の使い方から遡って考えた板坂元の本がいつまでも現役なのは嬉しい限りだ。
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