渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷
何しろ序章のタイトルが「和歌は演技している」である。枕詞・序詞・掛詞・縁語・本歌取りといった和歌独特の修辞技法(レトリック)が演技の視点から説明される。
和歌について勘違いしていたのかもしれない。正岡子規によってレトリックが否定された和歌は、真面目で、気詰まりのするものとして私は敬遠してきた。
「どうやら和歌とは、わが思いを、それと等価な意味・イメージの言葉に置換して表現するという表現観では説明しきれぬものであるらしい。つまり、重要なのは「意味」「内容」だけではないということだ。和歌の言葉には、意味やイメージの世界に閉じこもらず、直接に人々のいる現実の世界に働きかける面がある」(P23)。
「働きかける力の源泉は言葉の「音」にある。言葉の音てあるから、正しくは「声」である。その声が合わせられる。するとそこに儀礼的な空間が生み出される」(P23)。
「儀礼的な空間とは、複数の人間が、ある区切られた場所の中で、何らかのルールや約束事を共有しながら、特定の役割意識に基づいて行動する空間である」(P5)と定義されていた。
儀礼的な空間とは「役割意識に満ちた行為、すなわち演技に満たされた空間である。皆で声を揃えたり、祈りを捧げたり、日常生活ではあまりお目にかかれない表現行為が、真摯に現実のものとして営まれる。そういう行為をいま演技と言った。演技という行為の視点を持ち込むことで、和歌のさまざまな謎をほどいてゆくことが、本書での私の提案なのである」(P5)。
和歌のレトリックが儀礼的な空間を呼び起こすだけでなく、和歌と儀礼的な空間の関係を、後半では贈答歌・歌合・屏風歌・障子歌・柿本人麻呂影供・古今伝授を題材に和歌を取り巻く行為を演技の視点から「行為としての和歌」として論じている。
楽しみな本になってきた。
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