小林秀雄『モーツァルト・無常ということ』新潮文庫、1961年、2025年96刷
「蘇我馬子の墓」を読む。
堀辰雄の『大和路・信濃路』(1943)は私の好きな作品である。紀行文の形であるが、小林秀雄の「蘇我馬子の墓」(『芸術新潮』昭和25年2月号掲載)は石舞台古墳の上で弁当を食べながら、彼のいう「歴史」について考えを巡らせた話だ。「懐古の情に耽った」(p.158)とも書いてある。馬子の先祖の武内宿禰まで遡る。創作された武内宿禰はなんとも長生きな政治家であるが、『古事記』仲哀天皇、神功皇后の時に「沙庭(さにわ)」で神の御告げを請い願っている記述もあり不思議な人である。
爲國之大祓而、亦建內宿禰居於沙庭、請神之命。
小林秀雄は石舞台のある島の庄の風光を「朝鮮の慶州辺りにいかにもよく似た趣がある」(p.148)としている。そして懐古に耽っていく。
「歴史は元来、告白を欠いている」(p.154)。
「歴史というものほど、私達にとって、大きな躓きの石はない」(p.161)。
「大和三山が美しい。それは、どの様な歴史の設計図をもってしても、要約の出来ぬ美しさの様にも見える」(p.163)。
私の大和路アンソロジーを編むとしても外せないが、自分の解釈が追従出来ないのが残念である。

『モーツァルト・無常ということ』(1961)

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