読書時間

『日本の庭』(1984)

立原正秋『日本の庭』新潮社、1984年 『日本の庭』はほとんど「京都の庭」である。 『日本の庭』は正伝寺から始まる。「いつのとしだったか、底冷えのする冬の暮方北山の正伝寺の山門を出てきたら、風が死んでいたことがあった」という書き出しからして...
断片記憶

器の使い途

紅葉にはまだ早い南禅寺前のうつわやあ花音で新宮州三さんの漆角皿を買いました。店主と使い途を議論しましたが、何でもよさようです(少し投げやりモード)。 ちらし寿司の取り皿、菓子皿、パン皿、飴入れ、柿の種入れ、升の代わり、鍵置 使い途を議論して...
断片記憶

『行きつけの店』(1999)

「行きつけ」とは山口瞳が食事や旅行の際にみせるスタイルである。何かの縁で入った店が気にいると何度も通うことになり、「なじむ」ことを好む態度である。食事や旅行の都度、違う店や旅館を選ぶことを志向するのとはおよそかけ離れた態度である。人には馴染...
ひととき

73「おばんざい」千宗室

ひととき 2015年11月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「おばんざい」というタイトルだった。 「噛んだときにキュッという。噛み続けるとクシクシとほぐれ、繊維の裂ける響きが伝わる」。 「おばんざい」をいただく音の描写...
散歩時間

円満井会定例能

久々に矢来能楽堂へ。村岡聖美さんのシテで敦盛を観る。前シテ、ツレ(足立祐香さん、林美佐さん)三人が直面だと華やかでよいなあ。 秋は赤色にて終わる。 柏崎真由子さんのシテで「黒塚」を観て矢来能楽堂を後にする。これで今年の円満井会定例能も納めと...
読書時間

『ケルトと日本』(2000)

鎌田東二、鶴岡真弓編著『ケルトと日本』角川選書、2000年 文化を論じることに影響を与えた言説は数多くある。私は鶴岡真弓氏の「ケルト的なもの」の書き出しを読みながら、タイトルからして方法論を意識せざるを得なかった。しばらくして、サイードの『...
古都を旅する

北野天満宮

週刊新潮の「とっておき私の京都」料理家の高山なおみ氏の2回目は「北野天満宮」だった。御土居の下の紙屋川に架かる橋の欄干でポーズを決めている写真がなんとも羨ましい。もみじ苑が開苑すれば、老松の「大茶湯(おおちゃのゆ)」とお茶で紅葉を愛でるのが...
断片記憶

『坂口安吾』(1972)

奧野健男の『坂口安吾』(文藝春秋、1972年)はこう始まる。 「坂口安吾の「堕落論」を読んだとき受けたような鮮烈な衝撃を、ぼくは生涯において二度と読書から受けることはないであろう。それは十九歳のぼくを今まで縛っていた戦争期の倫理や観念やタブ...
旅の時間

祇園にラスカル現る

「いる!」という声がした。 車の入らない路地が騒がしくなった。 「アライグマが瓦を投げるよ」。 猿蟹合戦じゃあるまいしと思っていると、ざわざわ。 店の外に出てみると、なるほど、アライグマが1匹塀の上から顔を覗かせていた。カメラで写しても動か...
旅の時間

開化堂で茶筒を修理する

開化堂に来るのも久しぶりだ。もう茶筒を買うことはないと思っているが、見れば欲しくなるのが職人業というものである。今回は錻力(ブリキ)の茶筒の中蓋の修理を依頼しに訪れたのだった。 京阪電車の清水五条駅から鴨川に架かる五条大橋を渡って、河原町を...