小西甚一校注『一言芳談』ちくま学芸文庫、1998年、2022年第2刷
兼好と長明の対比
臼井吉見の解説を読むと、兼好一点張りであって、鴨長明は抒情歌人でしかない。「両者の決定的なちがいは、その無常思想に由来するに相違ない。長明のそれは、おもに外的事情からきている」(p.171)。「兼好の無常思想はこういう外的事情とかかわりなしというのではない。それもある。が、兼好のそれはもっぱら、わが身のうちにつながりがある。天変地異がおこらなくても、常時の自然・人事ことごとくの本体が無常なのである。兼好においては、無常というのは長明のように抒情や歌にはなりえない。それは認識であり、確認である」(p.172)。
臼井吉見は彼らの随筆の特徴を以下のようにまとめる。
「『方丈記』が本質的には抒情であり、『徒然草』が本質的には批評であるゆえんである」(p.173)。
少し長明のリアリズムに対する評価が低いようである。火事、大風、地震などの描写のリアリズムには触れず、外的な事情として長明の無常観を形成した根拠として扱っている。兼好は『枕草子』を挙げているが、『方丈記』を引用してはいない。無常観の違いがそうさせたか。長明の『方丈記』、『無名抄』や『発心集』を知らなかったとは思われない。
『一言芳談』の異質性
『一言芳談』は浄土思想の究極の表現集であった。臼井吉見は、『一言芳談』について、「端的にいえば、最上の願いは死の一事以外にはないこと。それには念仏に専念して、仏さまにおすがりするほかはないこと、につきるといってよい。これだけ、ひたすらに死を願う人間のことばを集めた書は珍しいだろう。死を願い、念仏をとなえる以外のことは、ことごとくそのさし障りとして否定されている。学問、知識もいらない。教養など問題にもならない」(p.186)。『徒然草』との距離は遠い。にも関わらず、兼好が『一言芳談』を引用しているのは何故だろうか。
参考に『一言芳談』からの引用がある『徒然草』第三十九段、第四十九段、第九十八段の本文、語釈及び現代語訳が載せられている。小西甚一は兼好が『一言芳談』を引用した理由を「逆説とアイロニイのすばらしさとしての強烈な信心に感動したからだと思われる」(p.10)としている。
しかし、兼好が引用する『一言芳談』は兼好にとって都合の良いものでしかない。兼好は学問、知識、教養を否定することはないからである。

『一言芳談』(1998)

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